戸籍

 台風11号が通過した後の8月も終りとなってようやく夏らしい夏が来た感じである。 これまでの8月は雨の降らない日がないくらい毎日雨ばかり降っていた。
 午前中は薪切り、午後からは芝生刈り。 今日でようやくぜんぶ終えて気分も爽快だ。
 その後役所へ行って、婚姻届を出すための戸籍をとった。 婚姻届は全国どこで出そうとよいので、結局神戸で出すことにした。 彼女の籍は今後オフの本籍に入るが、彼女が住むのは今までどおり神戸のままである。 一時法案が通りそうになった夫婦別姓だが、雲行きがおかしくなって、どうやら国会を通りそうもない。 別姓が認められているなら、迷わずそうするつもりだったが残念である。

 その外綾部の家を登記するための住民票と印鑑証明をとる。
 さらについでに新しくスタートした住民基本台帳カードというものをつくる。 写真入り、暗証番号付きで、今後個人情報の入手や個人の証明などにも使えるということらしい。 便利になるが、それで公務員が何人か減るのだろうか?

 戸籍謄本なるものを今回あらためて読んでみた。 長男は戸籍から抜けている。 つまり除籍になっているが、これは彼が結婚したのだから当然のことではある。 また前の妻が死亡したことは記載されていないし、結婚したことも記載されていない。 たまたま子供がいるので、その子の母親として妻がいたことや、その名前が分るだけである。 父や母も亡くなているが、この戸籍上ではそれも分らない。

 今から二,三十年前の話らしいが、子供の取り違えがけっこう多く起きていたらしい。 ずさんな管理をしていた産婦人科医院でのことらしいが・・・しかし戸籍上いったん受理された子供はそれが事実上他人の子供であろうとなかろうと戸籍上はその子は子供であって、それは変えることが出来ないだろうと思う。 少し昔、東北地方の産婦人科医が、中絶するという人を説得して子供を生んませて、その子供を子供が欲しくても出来ない人にこっそりと斡旋していたということがあったが、これも両親が医師の証明書付きで子供が生まれましたと届ければ、届けた親の子供として受理され、そに事実はどうあろうと変更は出来ないだろうと思う。 間違っているかも知れないが、戸籍とはそんなものなのだろうと思う。

 フランスの小話で、シャンソンにもなっているこんな話がある。
 あるとき息子が恋人が出来たと言った。 「どの娘だ教えろよ」とパパが言うので「あの娘だよ」とにこっそり教えると、パパは困った顔をして「あの娘とは絶対に一緒になってはいけない!」と頑固に言いだした。 困った息子はママにそのことを相談した。 ママは「お前がどうしても一緒になりたいなら、その娘と結婚してもいいわよ」とこともなげに言う。  「だってあの娘はパパが他所の女に生ませた娘だというんだよ」と息子が答えると、ママは「大丈夫だよ、じつはお前だって本当はパパの子供じゃないんだから」と答えたとか・・・。
  

 自分で家を建てれるか?

 ♪今日の仕事はつらかった〜
 自宅から山の家へ車を運転しながら、フォークソングが流行った頃の<山谷ブルース>の歌詞のさわりがつい口を付いて出る。 ♪あとは焼酎をあおるだけ〜 と続く。
 午前中草刈、午後から薪切りをしてすっかり疲れた。 普段なにをするわけでなく、本を読んで犬の散歩をするだけの生活を続けているので、たまに根を詰めて汗の出る仕事をすると疲れるだけでなく、腰をはじめ身体の節々が痛む。 でも草刈はこれでだいたい終り、あとは芝生を刈ればよいだけで、薪切りも明日もう一日やれば終わるだろう。

 当時は焼酎は貧乏人の酒と言われ、今のように普通の人で焼酎を飲む人はめったにいなかった。
 若者は何を飲んでいたかと言えば、さかんにテレビなどで宣伝されていたウイスキーであるが、(サントリーのレッドとか、ニッカのハイニッカ)これはウイスキーと言うより蒸留酒に色を付けただけのインチキ臭いウイスキーであった。 大人はだいたいカンをして温めた日本酒をを飲んでいたが、当時の日本酒は醸造アルコールを混ぜて造った、これも一応日本酒だが、あやしい日本酒であった。
 ビールはやたら口当たりの苦いキリンのラガーが主流で、市場の三分の二ぐらいがこれだったように覚えている。

 綾部の古民家だが、明後日契約してお金の受け渡しをする日である。
 今回は不動産屋の仲介はなく、地元の司法書士の立会いのもとで契約を交わし、登記することを持ち主と合意している。 いよいよ数日後から現場に入り、一人でコツコツ仕事を始めることになるのだが、契約の後神戸に寄ったりするので、本格的の始めるのは来月の5日ごろからになりそうだ。


 今回家を新たに建てるのではなく、改装、リフォームするわけだが、それでは素人が自分で家を建てれるのか?という問い掛けに対して、その気にさえなれば素人が家を建てるのはそんなに難しくはない、と答えることが出来ると思う。 もちろん一から十まで全部自分でをやるのは大変だし無理だと思うが、こだわりの人ならやってやれないことはないと思う。 しかし、何もかも自分でなどとこだわる根拠もないし、必要もないだろう。 家造りでまず一番大切なのはその家の設計図を書くことであると思う。  
 自分達がどんな家に住みたいか、それを家族で話し合い、それの下図を描くことである。 まず建てる土地にが決まっていればその土地の地形に合わせて大きさを決める。 この時点でその土地の建ぺい率とか容積率の問題がでてくるが、その点には後で触れることにして話を進める。

 どこに玄関を持ってきて、台所はどれくらいの広さにして、寝室は、子供部屋は・・・とひとつひとつ決めていけばよいだろう。 広さもだいたいの下図なら素人でも描ける。 そしてその下図を専門家に、大工さんとか設計士に見てもらって、専門化の目から意見を言ってもらい、不合理なところを直して本格的なものにすればよいのである。 設計図が出来れば家は半分で来たのと同じだ。 あとは実際の仕事に入って行くのだが、まずは基礎であるが、基礎などはその道の専門家にやってもらえばいいと思う。 家の基礎は今ではたいがい布基礎といって型枠を組んでコンクリートを流し込んで基礎とするのだが、素人の場合その型枠を作ることから始めねばならない。 その型枠はその後続いてまた家を建てるわけではないので、一度使ったきりで再び使わないので、結構無駄でもある。
 基礎が出来れば次は建物の躯体だが、これは大工さんに頼むのが良いと思う。 その大工さんも今は自分で柱や梁を自分達で鑿や鋸や鉋で切ったり削ったりしていない。 大体がプレカットといってコンピュータ付きの機械で、寸法に合わせて木を切ったりホゾ穴を開けたりしてもらっている。 この方が早くて幾分安いのだ。 今のプレカット機械は賢くて、寸法さえキチットした設計図があれば、その設計図を機械が読んで、必要に応じて自動的にカットしてくれるのである。
 プレカットされた梁や柱の構造材を今度は組み立てる棟上があるが、これも大工さんに頼むしかない。 これはどんな大工さんといえど一人では出来ない。 何人かの大工さんが集まってしかも今はレッカーを頼んできて柱や梁を組み立てていく。 その後は雨がかからないように屋根仕事になるが、これも素人がやってやれないことはないが、高いところでの仕事となるので危険だし、やはり大工さんを頼むのが良いだろう、その後の屋根の瓦とかトタン仕事も同じである。
 何時になったら出番になるかと言えば、この後からが素人大工の出番なのである。 土台、梁や柱構造仕事に屋根は終わっているので、これからは壁、床、天井、窓、出入り口などを造っていく造作仕事となる。 この仕事も難しければ最初大工さんに一部をやってもらい、それを見ながら同じように後を続ければよいのである。 具体的にいえば、壁下地をつくる仕事なら、壁下地の仕事を一部をやってもらい、それを見ていて真似ながら同じように残りの壁下地をしていけば良いのである。 床下地、天井下地などの仕事も同じようにすればよいのである。 床張りや外壁、内壁、天井なども一部をやってもらいそれを見よう見まねで繰り返せばよいのだ。 サッシを取り付ける窓枠なども、一箇所やってもらい、後はそれを見習って同じことをすればよいのである。

 ここまでの話でわかると思うが一番大切なのは、自分で家を建てることに理解してくれる専門家、つまり設計士とか、大工さんとか、工務店を見つけることなのである。
 
 そのような奇妙な仕事に理解ある大工さんを見つけるのが一番大事なことなのだ・・・日当を払うのに、そんなのは嫌だと、いやがられて見つからない場合もあるだろうが、捜せばいるものである。
 本来なら自分で本を買って、箇所箇所についてどんな仕事をするか書いてあるので、読んで勉強すれば、だいたいわかるものであるが・・・それでもどうしても分らなければ、大工さんに聞きに行くことだろう。

 大工仕事だけでなく、壁塗りやクロス貼りなども素人でも、その気さえあれば出来ないことはない。自分の家だし素人仕事だから、職人のように上手に出来ていなくて大体のことが出来ていれば良いではないか。 大体が最初は上手く出来なくてもあきらめないでやっていけば、終わる頃は結構出来るようになっているものである。 オフなどは昔小学校や中学の頃に机を並べていたあいつが、こいつが、今一人前の顔をして職人をやっているのだ・・・あいつにやれて俺には出来ないことはない、と思って自己流で何とかやってしまった。
 この事については、いずれまた・・・
  

 日本の古民家の弱点は基礎

 昨夜は草刈の疲れで10時半ごろ眠ってしまった。 そのせいか今朝は6時前に目が覚めた。
 良いお天気であるが、朝晩さすがに涼しく、夜などは長袖を着ていてちょうど良い。
 今日も頑張って草刈を済ませてしまおう、と自宅へ行ったがなんとなくやりたくなくて薪を切った。
 薪小屋の前に7月ごろから置いてあった材木の束は8月の連日の雨ですっかり湿っている。 縄を切って束を解いて材木を広げて日の光りや風に当て、比較的乾いていそうなものから切り始める。
 今年の初めに材木を乗せて薪を切る台を前のものは古くなったので新しく作った。 その際に高さを少し高くした。それが正解で腰に掛かる負担が少しやわらいだ。 台所の調理台の高さはその人の身長÷2+5センチという計算式があるが、その計算でいくとオフの場合178÷2+5=94になってしまう。 既存の調理台の高さは少し前まで80センチが主流、最近になって85センチぐらいになってきたという。 日本女性の身長が平均150センチから160センチぐらいに上がってきたということだろう。
 さすがにオフの場合80センチの調理台は低く、長時間作業すると腰に来る。

 
 もうずいぶん前の話のようになってしまったが、今月10日に神戸から帰ってきてから、今回決めた綾部の睦合の家よりさらに奥に入った故屋岡の家も同時に求めてもよいと考えて、取次ぎの不動産屋へ連絡を入れた。 しかし、もうすでに遅く、他のお客さんが商談に入っているという返事だった。
 まあ、その返事を聞いて、半分残念であったが半分ホッともした。  しかし、値段も睦合の家の半分だったし、まわりに家が建て込んでなくて、よいロケーションだった。 もしリフォームして売ることを考えないで自分が住むのなら、かなり山奥に入って不便だが、こちらの故屋岡の家を選らんだろうと思う。 こちらが良いと思う物件は、他の人も良いと思うものである。 この故屋岡の家には縁がなかったと思うしかない。


 日本の古民家の最大の弱点は一様にその基礎にあると思う。
 セメントなどがなかった時代のことである、 土の上に石を置いてその石を基礎として上に土台を置いて、あるいはお寺や神社のように石の上に柄を立てて土台をし、その上に柱を建てた。
 これらの独立した石の基礎が長年の間に沈み込んだりして、微妙に横の水平が狂って来るのである。 そうすればまず床に高いところと低いところができて建物が歪んでしまうのだ。
 そこで低いところを持ち上げてみても、また今度は別のところが低くなったりして、水平方向の狂いは続くのである。 
 古民家の再生の第一歩は、お金がかかるが建物を全体をジャッキで持ち上げて、古い基礎石を外しセメントで布基礎を造り、そこへ土台を伏せた後、柱を下ろす。 あるいは家を持ち上げ、ベタ基礎をしてそこに柄を立てる、そのことから始めないといくら直しても、切りがないのである。
 部分的に手直しをしていても、結局は良いものにはならないし、最終的にはかえって高くつくという結果に終わるのがオチである。 古民家再生の実例集では一様にそのように家を持ち上げてから再生している。 オフの今住んでいる八尾の山の家も、曳き屋に頼んで建物を1メートルばかり持ち上げて、その下でセメントで布基礎をこしらえて、土台を伏せそこへ家を下ろしたのである。 その際、土台にホゾ穴を開けて、柱のホゾを入れたかったが、土台に差してあったホゾが長年の月日で腐っていたものも多くあり、仕方ないから一様に切り捨てた。 であるから土台と柱はホゾで差してない。 それでは地震が来た時家がズレル恐れがあるので、コーチスクリュウというものを柱の両側に取り付けて土台と繋いでいる。 そこまでやってしまえば、古民家は太い柱や梁を使ってがっちり組んだ建物が多いので、さらにかなりの年数は持つはずである。 今の山の家の大黒柱は欅柱で1尺(30センチ)以上、向かい大黒は9寸(27センチ)ある。 雪が多いところなので、これくらいあっても不思議ではない。
 これまで丹波や美作などで見てきた古民家のほとんどは床の水平に狂いが出ていて、床が不安定なものが多かった。 その中で綾部の睦合の家を選んだのは、八十年経っているというわりには床が比較的水平を保っていて、狂いが少なそうな物件だったからである。 これならば曳き屋に家を持ち上げて基礎をしなくても当分持ちそうであると思ったからである。
 

 星野智幸著 『在日ヲロシア人の悲劇』

 昨日に引き続き草刈をする。 台風が関東をかすめて通り過ぎ、その名残か午前中ムァ〜と蒸し暑い。 草刈をしていても汗が流れ、目に入ったりすぐに防護眼鏡が曇ったりする。 お昼少し前あたりに風が出てきて雨が落ちてきたが、濡れたまま草刈を続行。 何とか午前中で今日の最低のノルマをこなし、残りは明日の仕事とする。 銀行へ行ってお金を下ろす。 最近はカードで現金を下ろす場合一日100万円までとなった。 カードを使い出すと窓口に行ってお金の受け渡しのため他人と対面するのが煩わしく思えるようになった。 オフはめったに利用していないが、ネットでモノを買うのになれれば同じようなことになるのではないかと思う。
 
 最近は山の家と自宅を往復する場合、いちばん南側の道、アップダウンが多い山道を走ることが多くなった。 その山道のちょうど中間あたりに長さ1キロメートル以上あるトンネルがあるが、その辺りで標高500メートルぐらいある。 そのトンネルの中はとても涼しくて、半袖だと寒く感じるくらいで、それが嬉しくて夏場はそこの道を通るわけだ。 それにその道はカーブも多くアップダウンが大きいが車がぜんぜん通らないのも嬉しい。 今日もその山道区間だいたい25分ほど走るあいだに行きに一台、帰りに一台の車とすれ違っただけである。 行きも帰りも一台の車と出会わないことも結構ある。 そんなさみしい道でも全区間が舗装されていて走るのは快適である。 馬鹿なことに税金を使っているなぁとその道を走るたびに思う。 先日その道でカモシカに遭遇したりしたりもした。
 カモシカといえばマロクンとの散歩の途中で出会ったこともある。 カモシカの目は近眼だといわれているが、その通りでこちらがすでに気が付いて立ち止まっているのに、トコトコとやってきて10メートルぐらい手前でやっと止まって、お互いにやれ困ったなぁという顔をしあっていたこともあった。
 

 星野智幸著の『在日ヲロシア人の悲劇』を読んだ。
 星野智幸は作家の中で唯一日記<言ってしまえばよかったのに日記>を読んでいる。

 彼の時評はユニークだし、かなり鋭い。
 こちらのほうが作家としての文章よりすぐれていると思えるのだが・・・
 
 好きなタイプの作家だから言うのだが、作家としての彼は自分の作品世界をもう少しわかりやすく開くべきだとおもえる。  純文学系の場合、内容があれば分りにくいのはヨシトスル風潮があるが、分りやすく中身が濃いに越したことはないだろう。 今回の作品はその意味ではかなり読みやすく、分りやすくなっているのだが、まだまだ勢いで書いていて、ぜんたいから眺めると辻褄がとれていないところが各所にある。
 勢いでもって書き始め、結論は書きながら、導かれるまま書き進んで落とす所へ行くタイプなのだろうが・・・たぶん『在日ヲロシア人の悲劇』という表題があって、その表題をテーマにした物語として書き始めたのだろうが、物語は表題から外れたところへかってに進んで行ってしまって、結果なんでこんなタイトルを付けたの?という感じに終わっている。
 べつに一時代前のように起承転結をキチット意識して書くべきだと言わないが、もう少し自前の作品を大切にすべきではないかと言いたくなる。 テーマは戦後民主主義の家族問題を取り上げているのだが、家族を構成するそれぞれの個人の思想がまずあって、しかる後にその思想をもとに人物が作り上げられている。 それを決して悪いとはいわない。 ドストエフスキーなどはそのように人物を作り上げている。 しかし、その肉付けがいまいち荒削りなパターン化されたまますすんでいくので、せっかくの中身の濃い面白い物語を結果薄っぺらくしてしまっている。
 本の帯にはこのように書いてある。
 <日本を生きるという空疎。国家、政治、思想、世代、個人、さまざまな問題意識を重層的に取り込み展開される、新しい「家族小説」。> 
 さらに、こうも書いてある。
 <孤独ってのは何だかわかる?一人っていうことだけじゃない。歴史を忘れてしまうってことなんだよ>
 まさにそれはそうなのだが、残念だが言葉だけが一人歩きしてしまっている。  
 

 中村航著 『リレキショ』

 自宅の草刈をした。 畑の草は雨ばかり降っていたせいか一ヶ月間でよくもこんなに伸びるものだ、というほど伸びている。 ほとんどがエコノ草なのでこの時期茎が硬くなっていて、刈払機に巻きついたり、草同士で絡まったりしてなかなかきれいに刈り払えない。
 日本の農業は雑草との闘いだ、と言っていた人がいたが、まさにその通りだなぁと思う。
 その点西側、ヒマラヤ山脈の西側は雨が降らない。 ヨーロッパなどは雨が降るのはもっぱら冬場で、夏に雨は降らない。 よって日本のように夏に草が生え、あたり一面に蔓延こるということはない。
 冬に雨が降って草が生えるが寒いので生えてもたいしたことはない。 以前トルコに行った時、バスで移動したが、行けども行けども川がない。 なだらかな丘のような大地がどこまでもどこまでも続き、そこはすべて麦畑。 こんもりした山はオリーブ畑とワンパターンの風景しかない。 そして川などは見たくてもない。 雨が降らない→水が流れない→川などない、ということなのだ。
 ヨーロッパでも有名なドナウ川とかライン川とかセーヌ川とかあるが、その水は主として山岳のアルプスで降った雪とか雨が流れてくるのであり、そうでなければ川に水などあまり流れない。


 中村航著の『リレキショ』を読んだ。 
 中村航は男性若手作家の一人である。 だいたい若手作家といえば男性は30代半ば、女性はそれより十歳は若く20代、それも最近では前半である。 女性が若くて作家スタートするのは、自分をとりまく身近な範囲への視線だけでも書くき始めることができるからだろうと思う。 男性の場合はたとえ身近な自分の範囲へ視点を絞って書くにしても、一度まわりへ視点を巡らしてから意図的に自分へ戻るというワンクッションが入ってくる。 自分の立っている位置や場所を、どうしても確認するという作業をあらかじめせざるを得ないのだろうと思う。
 この作家中村もそうである。 自分の身近な日常の細部にたいして、真面目に真摯に、誠実に生きるというポリシーが作られて、というかまずその合意が内部に形成されて、しかるのちに主人公が出来上がっている。
 村上春樹ばりの文体で書かれているが、日々の細部に誠実に生きるという点は村上とかさなるが、肝心な点が村上とは大きく異なる。 それは大きな見取り図がないという点だろう。 大きな見取り図というより、大きな物語と言ったほうが良いだろうか。 村上の小説の根底には、現実を彼なりに勝手に組み替えて作り上げているファンタジーすなわち大きな物語の世界がある。 村上はたぶんケチな性格なのだろう、あるいは計算した上でだろうが、その全貌はいつも見せないようにして、いつも小出しにしているのだが・・・ファンタジーというものは本来、その全貌が分ってしまうととてもつまらないものに・・・・なぁ〜んだぁ!にたちまち転落してしまうようなものなのである。 それはすべてのファンタジーの宿命である。
 そのような大きな物語ものを持たないで日常の細部に誠実に生きるすがすがしい人物を描いても、それはすがすがしいなぁで終わる。 

 町田康著 『浄土』

 台風の前のせいかすっきりしない天気。 どうやら台風は日本海に入らず本州を抜けていきそうだ。
 そうなると当地では北東の風が吹く。 しかし今回の11号は勢力は強いが渦巻きの範囲が狭いので、影響は少なそうだ。
 今年は雨が多いので草もよく伸びる。 山の家の周辺の草刈をした。 明日からは太陽が顔を出しそうなので、自宅の草も刈ってすべてをすっきりさせて綾部へ行こうと思う。

 兵庫県京都府の古民家情報を載せている業者のサイトを覗いて情報をチェックしている。
 昨日、神戸市北区に一軒の古民家の情報が出た。 300坪ほどの地面があって2000万円弱の売り出し価格である。 地面単価だけでいくと坪当たり7万円弱となる。 場所が神戸市、といっても六甲山の北側の旧山田町箕谷といわれている地区で、周辺は山また山で道が一本走っているその道沿いの家である。 近くには谷山団地などがあって、そこらは安くても坪20万円はする分譲地である。
 しかも敷地のうち50坪は神戸市に貸していてそこは駐在所として使われているし、約75坪ほどは北側を流れる川の法面で竹薮なので実質は使えるところは175坪ほどということになる。 それにしても坪当たり12万円弱とお安い物件である。 おそらくすぐ売れてしまうのだろうと思うが、今度神戸に行った時に売れ残っていればその古民家を見ておきたいと思っている。 値段からして建物はかなり痛んでいるだろうとは思うが・・・ その周辺は、箱木千年家といって日本に現存する民家としては最も古い平安時代初期の建物があったりする場所である。 

 http://kouhou.city.kobe.jp/kids/data/kb/kb06/kb06015.htm

 
 町田康著の『浄土』を読んだ。
 七編からなる短編集だが、全編、町田康節全開の作品集である。

 最初の一篇「犬死」のはじまりは以下である。
 ≫夏以来、ひどいことばかりがうち続く。例えば以前から知り合いで特にどうということもない関係だった男があたふたと忙しげに近寄ってきたかと思うと、到底承服できない条件で仕事を依頼、その場で承諾を迫り、断ると大きな声で「ああそうですか」というと挨拶もそこそこに立ち去った。暫くして会合に出席するとその男が居た。彼は人前で私を意味なく怒鳴りつけ、そして急ににやにや笑うと顔を五センチも近づけて、例の話しどうでしょう?と言った。私が返事しないでいると、男は不意に忙しげに立ち去った。いまではほうぼうで私のことを恩知らずだと言いふらして歩いているらしい≪
 
 とまあ、こんなふうに始まって、打ち続くひどいことをつぎからつぎと書き並べ、最後に
 
 ≫家の勝手口のドアーノブを大工が誤って(かわざとかわからない)内外を逆に取り付けたため鍵穴が室内にあるというおかしな状態になっていたのをいそがしさにかまけて放置しておいたところ盗人が入り、現金二十万円と時計宝石を盗まれたりとさんざんで、夏以降ずっと、これはいかなる禍事か、と嘆じていたのである≪

 いずれにしろ人は本音と虚飾の部分とのあいだをうろうろしているものである。 まちがって覆い隠している本音の部分がヒョイと顔を出したり、虚飾のためにさらに虚飾を重ねたりして辻褄をあわせているが、その化けの皮が間違ってずるりとはがれて、あわてふためいたりする。 抱腹絶倒する場面というのは、人それぞれに微妙に違うものなのだろうが、普段どんなシカメ面しい顔をした人でも、この作品集ではどこかで押さえが外れて、笑いが爆発するのではないかと思える。
 
 なおこの本の表紙の写真は本屋で立ち読みしてみる一見の価値がある。

 井上荒野著『もう切るわ』

 昨夜激しい雨が降って前線が南下していった。
 今朝からは北の高気圧に覆われて涼しい。 この間ずっと開けっ放しだった窓を閉めて、長袖を出してきて着ている。 しかし天気の回復は遅く曇り空で、秋の高い空、澄んだ空気はまだお預けである。
 明後日あたり台風11号が接近。 もっとも西よりのコースをとった場合台風は日本海に抜け前線が押し上げられ、その後太平洋高気圧がまた張り出して、夏に逆戻りというケースも考えられないことはない。 だとしてもここのところ日中蝉も鳴いているが朝晩は涼しく、夜になると秋の虫達も鳴いている。 
 マロクンが元気がない。 足の付け根にできた腫瘍は少しずつだが大きくなって来ている。 そのせいか、夏のせいか、年のせいか、食欲が一時の半分ほどに落ちている。 からだも痩せて一回り小さくなった感じがする。 年齢的には人に直せば80歳近くなので、仕方がないといえば仕方がない面があるのだが・・・。
 

 井上荒野著の『もう切るはわ』を読んだ。
 この作家の作品を読むのは初めてである。 漢字で書くと男か女かわからないような名前だが、多分アラノと読むのだろうが、女性作家である。 
 内容は芥川賞系と直木賞系の中間的な小説だが、筋運び、文章ともに手馴れていて、とにかく上手い! 出だしのところに以下の文がある。

 ≫新しい服を着れば、新しい自分になれると、多くの女性と同じように、私もやっぱり錯覚するのである。しかし実際は、私はその服に袖を通すことすらめったにない≪

 ここらあたりまでなら女性作家でなくとも誰でも書くだろう。 しかしその後の

 ≫変れないことと変ること、たぶんその両方に恐怖があるせいだ≪

 この一行は、自分を表現することを普段から留意している人だからこそ書ける、するどい一行だと思う。 その後は以下ように続いていく・・・

 ≫出かけるときに着るものを、私は、いつもなかなか決められない。何を着ても、私の身の上や心の中が、ありありとそこにあらわれている感じがして、ようやく決めて外出しても、鏡やウインドウの前を通るたび、自分の姿をたしかめずにはいられない≪
 
 作者はあとがきに書いている。
 「誰の心の中にも、迷路があると思います。
 その存在に気づいた瞬間に、それはあらわれ、ひとつの道を選ぶたびに、もう一つの道が増えて、迷路はどんどん複雑になっていくように思えます。
 ある道の先には嘘があります。けれどもそれはまた、あるべつの瞬間には、万華鏡のレンズがほんの少しの角度によってがらりと変わってしまうように、真実にもなりうるのではないでしょうか。
 ・・・・・・
 あるひとりの男にかかわった二人の女の心の中の図が、どこかで混じり合い、あらたなる小路で繫がって、果てしない迷路になってあらわれてくれたらいいな、と思います。
 そして、その迷路のひとつの道が、読者の心のうちのどこかと繫がって、そのことで読者が安堵するのではなく、むしろ迷子になった子供のような不安を掻きたてられるふうであったら、それは私の願い通りです」

 また楽しみな作家が一人出てきた。