服を注文する

 30日の朝6時半自宅を出発して高速の北陸道に入りひたすら南西に向って走る。
 運転する車はスズキキャリーという軽四のトラック、走行距離が9万5千キロを超えている。 しかも荷台はマロクンの犬小屋をはじめ大工道具一式などを縄でグルグル巻きにした荷物で満載、夜逃屋本舗の車かと見まごうばかりの姿である。
 結局サービスエリアで休み休みしながらだったが、それでも平坦なところでは80キロで走った・・・のだが高速道を3時間半の走行ですべての車の追い抜かれ、一台の車も追い越せなかった。 追い越し車線に入ったのは、進入路から本線へ入ってくる車を避けた時一度だけ、この時は追い越し車線に早い車が数台走っていてとても怖い思いをした。
 敦賀インタ−で高速を下りて、若狭湾沿いの道を走り、途中の大飯町から綾部へ抜ける道に入って、都合5時間半かけて綾部市の上林地区に12時過ぎに到着、荷物を降ろした。
 その後は綾部市へ出て、司法書士の事務所でお金の受け渡しをして領収書をもらい、それをもとに登記をしてもらう手続きを済ます。 福知山駅まで送ってもらい事故で有名になったJE西日本の福知山線の電車で尼崎へ、そこから神戸須磨へ。 昨夜はよく眠れなかったので電車の中はほとんど眠っていて、例のマンションの近くの事故現場を通過したのも分らなかった。
 
 翌31日、神戸市北区にある古民家を訪ねる。 須磨からは意外と近く20分ほどで着く。 自主見学になるので、遠慮しいしい建物の外部をぐるりと見ただけであったが、その昔医院をしていた家で、農家造りとはいえ外部廻りにガラス戸を多用して瀟洒なところもあるが、これを手直しするとなると半端なお金では収まりそうもない。 それ以上に、近接しているまわりの家々がなんとなく外者を拒絶しているような嫌な雰囲気が伺われた。
 その後車で5分ほどの所にある日本の民家で一番古い箱木千年家を訪ねて見学する。
 茅葺の大屋根の軒は低く廻りに下屋などはない。 さらに建物外部が土で大壁になっているので、朝鮮の民家を思わせるようなところがある。 部屋同士の仕切りは、柱に縦に切り込みを入れてそこへチョウナで表面をはっつた厚板を落とし込むやり方である。 内部はきわめてシンプルである。
 江戸時代に造られたという離れは、まわりが縁側で囲まれていて、その外に一筋鴨居の板の雨戸がめぐらされていてなかなか趣深い建物である。


 その翌日9月1日。 三宮へ出て映画を見る。 月の初めの日で誰もが1000円で入場ができる日で、場内は満席だった。 その後VANの店へ寄って昔懐かしいアイビー調の紺のブレザーを捜すが、VANの店は若者のファッションの店で大人向けの商品などはない。 仕方なくデパートへ行って紺色のダブルのブレザーを捜す。
 オフが捜していたのは昔懐かしい紺色で金ぴかのボタンのアイビー調のダブルのブレザーだったが、今はそんなのはどこも置いていないようだ。 昔オフが若者だった頃、ファッションにまわすお金などなくて、Gパンばかりで過ごしていて一度もアイビールックなどを身に纏ったことがなかった。 いまだに当時の憧れのイメージを引きずったままでいると、さんざん彼女にからかわれ、良い大人になった今そんな格好をすると安っぽく見えててダメよと言われる、しかし、やはり、あれがいまだに憧れなんだがなぁ・・・
 同じ紺でも黒に近い紺で、ボタンも地味な大人の雰囲気のブレザーに、同じくこだわりのグレーのズボンを注文することになった。 情けないことにオフの背丈やお腹のサイズに合う服やズボンのこだわった既製品など置いてないのだ。 今ごろ服など注文するのは、フォーマルな場に着ていくスーツどころか、普通のスーツやブレザーすら今のオフは一着も持ってないのである。 まあ、ベージュのユニクロのコットンジャケットぐらいはあるが・・・。
 じつは一ヵ月後彼女の姪っ子が舞子ビラというところで結婚式を挙げるのだが、そこへ招待されているが、着ていく服がない。
 昔の安物の黒の礼服はあるが、虫に食われていくつか穴が開いている。 黒のマジックで黒く塗って分らないようにしているが、やはりよく見れば誰でもすぐ分る。 オフが一人者ならそれでもいっこうに構わないのだが・・・ということで今回、不本意ながらもデパートでブレザーを注文することになったのである。