島田雅彦著 『退廃姉妹』

 昨日神戸から帰ってきたのだが、神戸もそうだったが当地も昨夜、今日と蒸し暑い。
 山の家は標高があるので窓を開けっぱなしにしておけばさほどではないが・・・町では今夜はおわら風の盆の宵だが、こんな夜に着物を着て踊る人達も大変だろうなぁと思う。
 昨日は帰ってきて、まず何をしたかといえば、畑でナスを採った。 夜の8時ごろになっていたのであたりはもうまっ暗で、懐中電灯を点けて適当に10個ぐらい収穫して、すぐ漬物にした。 今回は三日間ほどしか当地には滞在しないが、その間に美味しいナスの漬物が食べたいと思い急いだ。
 いよいよ来週の初め今度は乗用車に布団や鍋、釜一式の日常生活用品を積み込んで、唯一の友であるマロクンも連れて綾部へ移動することになる。 向こうでの滞在は仕事の進み具合もよるが、最低半年はかかるだろうと思う。 まったく行きっぱなしではなく、当地には郵便物なども来るので、仕事の合間を見て月に一回ぐらいは帰ってこようと思っている。


 島田雅彦著の『退廃姉妹』を読む
 ーオレの不幸がうつるぞ。
 ーいいんです。うつしてください。
 と表紙の中に書いてある。 これは戦後ずっと単行本には、帯など付いていなかったので、直に表紙に作品内容のさわりを書いた仕様をモジってのことだろうが、今ではさして新鮮でもないと思えるこんなクサイセリフが当時は退廃という感覚だったと言いたいのだろう。
 戦争の敗北、勝利にかかわらず復員兵というのは一般的に戦後の社会から異端視されるものだが・・・生き残った特攻隊員が戦後ヤクザな生き方に身を落としている、そんな生き方を自嘲して俺の不幸と言った訳であるし、姉妹の内の理知的な姉はその男に対して<不幸を引き受けるわ>と言った訳である。 一方勝気な妹のほうは食うために勝利者である占領軍のアメリカ兵を家に連れ込んで、これからは私たちがアメリカ人の心を占領するのです、とうそぶいてパンパンをしている。 それらも含めて敗戦後のこの姉妹がそのものが退廃というのだろう。

 島田雅彦もまた退廃というか、後退しているように思える。
 このようなことさら新鮮さのないストーリィテリングだけでしか小説を書けなくなったんだろうか?
 その兆候は前の無限カノン三部作あたりから見えていたのだが・・・
 おそらく『忘れられた王国』を書いたあたりが彼の頂点だったのだろう・・・あの時に発見した故郷とも言えないような新興の都市近郊を故郷にして育った戦後世代、という視点はどうやらあの一作品で使い捨てられて、彼の心の中に埋もれてしまったようだ。 まことに残念である。