『8月の果て』

 ≫海だ!波の向こうにまた波があって、そのまた向こうに波、波、波、波、波!なんて広いんだろう、終りがないみたいだ。深呼吸している胸みたいに持ちあがっては平らになって、青い大きな動物みたい。海だ!と叫んでみたかったが、喉が声を通してくれない。少女は両手を突っ張らせ十本の指に力を入れたまま海と向かい合った。白波が砕けるたびに迸る光が少女の内に入り込み、鼓動の感覚を少しずつ遅くし、こころの澱みに浮き沈みしている恐れや驚きや不安や哀しみを光で束ねて波の上に放り出した。少女は奇妙に熱くて眩しいものがクァルクァルクァル(どくどくどく)とからだじゅうを駆けめぐるのを感じた。≪

 背後から足音が忍び寄ってきて 「日本の軍服工場で働かないか。お金を沢山もらえて、美味しいものを食べさせてもらえて、綺麗な服を着せてもらえる。三年働けば百円貯めることもできるし、仕送りをして親御さんに親孝行も出来る」 と声を掛けられた十三歳の少女が、どこへ連れて行かれるかも知らされないまま列車乗って大連で降りて、生まれて初めて海を見たときの美しい場面である。

  この長い小説の主人公は朝鮮半島から日本へ渡ってきた柳美里の母方の祖父李雨哲(イウチョル)である。 彼は幻に終わった戦前の東京オリンピックが開催されていたら長距離ランナーとして出場、活躍が期待されていた男である。 彼はなんというか言葉もなくただただ逃げるように、すっすっはっはっと終始走っている男である。 何から逃げるかといえばじつは女達なのであるが・・・しかしだだそれだけなのだが・・・その間に彼の周りでは歴史が何度も舞台が変わるように転換して、主役を取替え、取替えして回っていく・・・

 かねてから従軍慰安婦の問題をいつか誰かが書かねばならないだろうと思っていたが・・・それを書くのはやはり在日朝鮮人である柳美里こそが一番ふさわしい、いや彼女しかいないだろうと思っていたが その美里が「8月の果て」 の中でとうとうこの重い物語の扉を開いた。
彼女はこの物語の中で、この重くてどこまでも闇を探るしかないような話を光の方へ引き寄せて書いた。 彼女はこの作品で故郷を目の前にしてみずから海に飲み込まれ、<膚は腐って水となり、肉は魚に貪られ、波間を漂う白骨は海の塵>となってしまった名前もない少女の恨(ハン)解きほぐした。 <痛嘆し、哀訴し五臓六腑に染み付いて>ぬぐってもぬぐいきれない限りないその恨を空の光の中に解き放った。

 この物語の中には人が誕生する場面がいくつか書かれているが、彼女がこの間気を失うような痛みと不安と苦しみの果てに子を生み、命の誕生に立ち会ったからこそこれが書けたのだろうナァと思った。 なんというかすべての女は、最後には男達の撒いたすべての忌まわしい罪業を解き放ち、この世に魂の再生の物語を産み落とす。この作品でもってわれわれイルボンサラムの男達の隠された暗部の苦しみも光の中に解き放たれた。