明日から綾部へ

 マロクンがようやく食べ物を口にした。 
 昨日黒砂糖水を皿に入れて置いたが、砂糖水はこれまで一度も飲んだこともなかったので、鼻を近づけただけだった。 今朝起きて見ると皿の砂糖水はからっぽだったので、出汁をとった後の鰹節をやるとまたたくまに平らげてしまった。 さらに黒砂糖水をやるとこれも綺麗に呑んでしまい、その後ドックフードも少々だが食べた。 まだ動きは弱々しいが立ち上がるときの動作も少し力強くなってきている。
 黒砂糖は精製してない分、ミネラルなども多いので弱ったマロクンの身体にはよいだろうと思った。
 その先に林檎ジュースを皿に入れておいて置いたのだが、結局飲まなかった。
 ひとまず安心だが、明日車で綾部へ出発する。 高速道を使っても乗用車なら4時間あまりの道中になるだろうが、病み上がりのマロクンの身体には負担は大きいと思うが、もうこれ以上綾部行きの日時を延ばすことはできない。
 
 台風14号日本海をすすんだのでフェーン現象で気温が上がった。 部屋がモワッと暑かったが明日から綾部へ行くので部屋に掃除機をかけ、小便タンクに溜まった尿を水タンクに捨て、小便器を外して、外へ持ち出し洗った。 さらに大便器の中身(ピートモスと便)を下のトレイに落とし、そこで弱ヒーターで乾燥させ所定の捨て場へ数週間後捨てる。 その状態でならハエも寄ってこない。
 トイレは水洗ではないのでどうしても尿のカスが便器に付着する。 まだ便器を使って2年目ぐらいだから水洗いで強くこすると何とか落ちるが、来年ぐらいから酸の入った洗剤で洗わねば取れなくなるだろう。 水タンクも3分の2ぐらいまで尿がたまっている。 約2年掛けてでだが、冬の間は使ってないので1年半ぐらいか、この先もう一つ新しい水タンクを買って、古いほうの尿は時間をかけて完全に無機化させて、最終的には畑の肥料として使うつもり。

 明日からこのオフの日記は当分の間お休みになる。
 この場所に再び書くのは綾部から帰ってからのなるので、何時頃再開できるか今のところ見当もつかない。 たぶん半年後くらいかな?  
 少し落ち着いたら綾部で新しいPCを使ってまた日記を書くつもりでいるが、その時はこの日記の最後の日のコメントにそちらからアドレスを記すつもりである。
 

デジカメ、団塊世代を総括する?

 ついにデジカメを買った。 ニコン社製で三万円を少し切った値段で、それにメモリーチップを入れて合計四万円ちょいだった。 友人に聞くと、どうせ買うなら四万円ぐらいのモノを買っておいたほうが良いよ、というアドバイスだったのでこれは手頃かなと思っている。 これから古民家をリフォームしていくわけだが、使用前、使用後ではないが、仕事の後先をカメラで記録していこうと考えているので、いわばこれから必需品である。

 オフがカメラを買うのはこれが生まれて初めてである。 使い捨てカメラなら何度か買ったことはあるが、本格的なものは今回が初めてである。 昔、中学生ぐらいだったろうか、むしょうにカメラが欲しくなったことがあって、無理だろうなぁと思いながら買って欲しいとねだったことがあった。 自分としては負担をかけず出来るだけ安い製品を買うつもりでいたが、もちろん答えはそんな贅沢なものダメ!の一言だった。 その時やむなくカメラは諦めたのだが、もう一生カメラなんか持たなくてもよい、などと極端な諦めかたをしてしまった。 以来今回まで一度もカメラは買わないで来たわけだ。

 インドを一人旅した時は、借りたカメラをバックパックに詰めていったが、ほとんど使わなかった。
 時々撮りたいと思うのだが、普段使い慣れていないのでどう撮ればよいか分らないのだ。 もっと具体的に言えば、撮りたいと思うのはたいてい子供や大人の人、つまり人間で、その見ず知らずの人間にカメラを向けることがどうしてもできなかった。 結局写して来たのは、南国の木々とか、つまらない風景を少々写してきただけだった。

 
 三浦展著の『団塊の世代を総括する』を読んだ。
 これは小説ではない。 オフが小説ではない本を読むのは珍しいが、団塊という語に出会うとついその内容が気になってしまう。 以前やはり堺屋太一著の団塊の世代向けの本『わがままのすすめ』を読んで、少々ガッカリしたが、今回はさらにガッカリした。
 作者は団塊の世代から10年ほど遅れて生まれてきた、いわゆるマスコミなどで<しらけ世代>と呼ばれている世代である。 だいたい自分達より少し上の世代の特に元気のよい連中というのは、どことなく鬱陶しいものであるが上に、団塊の世代はやたら人数が多いと来ているから、始終頭を押さえつけられているような重苦しい圧迫感があるのだと思う。 話は外れるが、また男女を問わず自分達より下の世代の可愛い系とかモテモテ系もどこか小憎らしいものではあるが・・・

 この本の論点の中心はどちらかといえば団塊の世代の子育て論についてである。
 簡単に言ってしまえば、団塊の世代の親たちは働くことの意義や意味を子供たちに教えなかった、と言っているのである。 その結果、
 ≫団塊の世代の子供にはフリーターになったものが多い。フリーター400万人時代の主役は、団塊の世代の息子や娘たちなのである≪
 と結論付けている。
 たしかに現在30歳から35歳までの若者が団塊ジュニアと呼ばれる層である。 しかしこの世代が世にでる頃にバブルが崩壊したのである。 ただでさえ多い層なのに就職の門戸が狭めれれば、当然行き場がなく、あえなくフリーターを選んだ層である。 この後の現在25歳から30歳の世代は就職氷河期と呼ばれた層なのだが、じょじょに総数が減ってきているのでその前の団塊ジュニア層よりフリーターの数は減ってきている。
 ということは経済的な要因でフリーターはある時期やたら増えたのが主因である。 この作者も経済的な要因は認めているが、主張の柱は子育て失敗論である。団塊の世代が自分の世代だからといって弁護するつもりはないが、団塊のジュニアにフリーターが多いのをどんな生き方が良いか示せなかった団塊の世代の子育ての失敗が主因として導くのはあまりにも恣意的な結論であり、的外れである。
 しかし、団塊の世代に定年後、のんびりと老後を過ごすのではなく、それまでの職種を生かして会社を興し、そこへ若者フリーター層を雇用して吸収せよと主張するのは、それもありか程度の話だが、たしかに悪い方向ではないだろうと思う。

 阿部公房著 『飛ぶ男』

 マロクンとのこれまでのことを考えたが、いちばん心苦しいのは彼を一生鎖につないで育てたことだ。 現在の法律では犬を繋いで飼うことを義務づけられているので致しかたないのだが、オフが小学生の頃には飼い主にそのような義務はなく、つないで飼うか、放しがいで飼うかは、飼い主の判断に任せられていた。 いまだにアジアの各地ではそうだろうが、大型犬やうるさい犬以外日本でも比較的おとなしい犬などは繋がずに放飼いにしていた。 そんな訳で自然に犬同士がかかって殖えるので、その頃はまだ路上には野犬などもいて、時々保険所から犬殺しと呼ばれていた人が来て、野犬狩りをして捕まえて行ったりしていた。 首輪をしている飼い犬も捕獲されることもあったが、そんな場合は後で事情を言って保険所に貰い受けに行ったりしていた。
 たしかに昭和40年以降田舎でも車は急激に増えたし、狂犬病とか、幼児が咬まれたりするアクシデントのことを考えれば、繋いで飼うことはいたしかたない時代の流れであることは分る。
 それでもオフなどは子供の頃人と犬が同居していた時代のあのおおらかな雰囲気を知っているので、鎖で繋いで飼ったことになんとなく後ろめたさを感じてしまう。 かといって犬を家の中で飼うことは馴染めない、オフはそんな感覚を持つ最後の世代の一人なのかもしれない。

 マロクンは今朝から何も食べていないし、確認はしていないが水も少し飲んだかどうか分らない。  
 たぶん少しは飲んだのだろう、お昼前に一度小便はした。 犬は本能に従って生きているので、食べない時はどれだけお腹が減って、痩せ細っても食べない。 人間のように、そんなことでは身体が持たない、などと考えて食べたくないのに無理してでも食べるというような行動は決してとらない。
 昔、放飼いにしていた頃は、死に際は自分で何処かに隠れて死ぬ、ということがごく普通にあったと言われている。 犬や猫は死期を悟るというのも本能の一つだったのだろう。
 マロクンはこのままジッとしていて回復するか、このまま死ぬか、その瀬戸際のところに自分がいて、回復してくれば食べはじめるだろうし、そうでない場合は衰弱して死ぬだろう・・・その内部の結果を待っている感じがする。 痛がったり、苦しがっていないのが、ただ見ているものとしてはせめてもの救いである。


 阿部公房著の『飛ぶ男』を読んだ。
 阿部公房を読むのは今回が始めてである。 この『飛ぶ男』は阿部公房の最後の作品、つまり遺作であるので当然作品は未完である。 その辺は知らなかったので初めて読む本が最後の作品だった。
 本にはもうひとつの作品「さまざまな父」という短い作品も収められている。 こちらは完成した作品で『飛ぶ男』の話と関連があり、その前段階の話、つまりある男が飛ぶに至るだろう・・・と思わせるところまでの話で、まさにある男(息子)が飛ぶところで終わっている。
 そして『飛ぶ男』は、いきなり男が飛んでいる場面から始まっている。
 
 ここで阿部が書いている<飛ぶ>ということはどのようなメタファーをもとにしているのであろうか?
 それがじつはよく分らない・・・しかし以下のような記述がある

 ≫あれ以来ぼくは父の裏切りを許していない。
 あの裏切りを思い出すたびに、ぼくは狭い出窓のガラスとカーテンの間にじっと身をひそめることにしている。やがて巨大な怪鳥になって飛び立ち、超低空飛行で住宅街の屋根すれすれに飛翔しながら通行人を次々に殺してまわるのだ。べつに血まみれの阿鼻叫喚を望んでいるわけではなく、むしろ死にたえた無人の街にたいする嗜好らしい。孤独な独裁者の願望に似ているかな。結局、抽象的なゲーム感覚に近いものだろう。次第に無人地帯がひろがっていく。何処かに潜んでいるはずの誰か(たぶん少女のフライデー)と出会うまで、ぼくは際限のない殺戮にひたるのだ。やがて完全な無人の静寂。つづいて螺旋状の眠りへ墜落を開始する。≪

 二つの作品に登場する若い男は同一人物かどうかは分らないが、ともに父への根深い不信を持つて描かれている。 これらの事実から二作品は父と息子の確執を背後のテーマとして持つ物語であると考えてよいだろうと思う。
 戦後を代表する知識人作家として、大江健三郎と阿部公房が並んで紹介されていた時期があったが、阿部公房の作品はこれまで難しそうな作品という先入観があって、なんとなく避けてきたが、今回の未完の作品を読んでオフの資質がかなり近いというか、ウマが合いそうな面があることを知った。

 「ヒトラー最後の12日間」

昨夜マロクンを預けてあるA君からマロクンの様子がおかしいと電話があり、駆けつける。
 A君の話では、奥さんが散歩に連れている途中で突然道路に座り込んでそこから歩かなくなった、携帯で連絡をもらったA君が車で駆けつけると、車にはしずしずと乗ったので家に連れて帰ったが、そのまま寝転がって身体を起こそうともしない、とのことだった。

 昨日は台風の影響か、ことさら蒸し暑かったのも影響しているのだろうが・・・マロクンは先月あたりからだるそうに寝てばかりいて食事の量が半分ほどに減り、普段より水を多く飲むようになった。
 が、今回神戸へ出かける三日前ほどから食事の量は普段の量に戻っていた。 預かってくれていたA君の家でも最初はよく食べていたが、じょじょに食べなくなり、蒸し暑くなっせいだろうかと話していたという。 しかし今回の様子は一過性の夏バテだけとは到底思えない。 今年の春ごろにマロクンの右足の付け根あたりに腫瘍があるのに気が付いた。 医者で見てもらったが、このように外部に出てくる腫瘍は悪性のものが少ないし、犬の年令もかなりなので手術は勧めない、このまま様子を見たほうがよいのではないか、との診断だった。
 今にして思えばこの腫瘍は悪性のもの、つまり癌だったのかもしれない。 腫瘍はそっと触ると少し熱を持っている。 助手席に乗せて自宅に運び、一休みさせてから山の家へ連れて行く。
 首の鎖はつけず、土間にそのまま放しておいたが土間の上で寝そべったままである。
 朝方五時前だったが、弱々しい声で鳴くのを聞いて目が覚め、そばへ行くと、やっとという感じで立ち上がってヨロヨロ寄ってきたので身体を撫でてやると気持ち良さそうに首を長くしていた。
 たまたま大型で強い台風が九州に近付いているし、今回の綾部への出発を三日ばかり遅らせてこのまま様子を見ようと思っている。


 神戸で「ヒトラー最後の12日間」という映画を見た。
 戦後60年を経てようやくドイツでもヒトラーを正面に据えて描く映画が出てきたということだろうと思う。 彼のことは、その名前ややったことは誰でも知っているが、じつはよく知られていない人物でもあったのだとあらためて思った。 この作品はドイツの映画だが、一人の若い女性秘書の目に写ったヒトラーやその取り巻き連中の実像に迫ることで、あの戦争を起こした人間像たちに迫ろうとしていた。  
 彼や彼らは悪魔でも、狂人でもない生身の人間で、その生身の人間ヒトラーは自分がドイツという国家そのものであると信じていた。 戦争に勝利すればいろんな意味でそれまでの言動の辻褄は取れるだろうが、いったん敗北の憂き目を見た時すべてが反故になる。
 国民は国家を信じたのだから、この場に至って彼らがどのように死のうとそれは彼らの自業自得だ、とヒトラーは言い切る。 国家の論理と国民、国家とは何かを否が応でも考えさせられる。
  最初から極悪非道な人間とか、心酔し崇拝する英雄などというぶれた視点ではなく、あくまで秘書だった若い女性が見たままの、目に映ったままヒトラーという視点で統一され、ドイツ人らしい職人的で実証主義な作品の組み立てがじつによく作られていた。
 
 上映時間がちょうどお昼に時間に係る時間帯だったので、サンドイッチを造って持って行ったのだが、映画館の中でそれをパクつくような雰囲気は最後までなかった。
 個人的なことだが、オフの前の席に座っていたのは坊主頭の大きな男で、最初予想したとおり彼は映画が始まる最初から最後までその大きな頭を微動だにしなかった。 当然外見からではどのような考えを持っている人か分らないが、そのような人にこそあの映画の感想を聞いてみたいような気がした。

 オフの評価点 55点

 島田雅彦著 『退廃姉妹』

 昨日神戸から帰ってきたのだが、神戸もそうだったが当地も昨夜、今日と蒸し暑い。
 山の家は標高があるので窓を開けっぱなしにしておけばさほどではないが・・・町では今夜はおわら風の盆の宵だが、こんな夜に着物を着て踊る人達も大変だろうなぁと思う。
 昨日は帰ってきて、まず何をしたかといえば、畑でナスを採った。 夜の8時ごろになっていたのであたりはもうまっ暗で、懐中電灯を点けて適当に10個ぐらい収穫して、すぐ漬物にした。 今回は三日間ほどしか当地には滞在しないが、その間に美味しいナスの漬物が食べたいと思い急いだ。
 いよいよ来週の初め今度は乗用車に布団や鍋、釜一式の日常生活用品を積み込んで、唯一の友であるマロクンも連れて綾部へ移動することになる。 向こうでの滞在は仕事の進み具合もよるが、最低半年はかかるだろうと思う。 まったく行きっぱなしではなく、当地には郵便物なども来るので、仕事の合間を見て月に一回ぐらいは帰ってこようと思っている。


 島田雅彦著の『退廃姉妹』を読む
 ーオレの不幸がうつるぞ。
 ーいいんです。うつしてください。
 と表紙の中に書いてある。 これは戦後ずっと単行本には、帯など付いていなかったので、直に表紙に作品内容のさわりを書いた仕様をモジってのことだろうが、今ではさして新鮮でもないと思えるこんなクサイセリフが当時は退廃という感覚だったと言いたいのだろう。
 戦争の敗北、勝利にかかわらず復員兵というのは一般的に戦後の社会から異端視されるものだが・・・生き残った特攻隊員が戦後ヤクザな生き方に身を落としている、そんな生き方を自嘲して俺の不幸と言った訳であるし、姉妹の内の理知的な姉はその男に対して<不幸を引き受けるわ>と言った訳である。 一方勝気な妹のほうは食うために勝利者である占領軍のアメリカ兵を家に連れ込んで、これからは私たちがアメリカ人の心を占領するのです、とうそぶいてパンパンをしている。 それらも含めて敗戦後のこの姉妹がそのものが退廃というのだろう。

 島田雅彦もまた退廃というか、後退しているように思える。
 このようなことさら新鮮さのないストーリィテリングだけでしか小説を書けなくなったんだろうか?
 その兆候は前の無限カノン三部作あたりから見えていたのだが・・・
 おそらく『忘れられた王国』を書いたあたりが彼の頂点だったのだろう・・・あの時に発見した故郷とも言えないような新興の都市近郊を故郷にして育った戦後世代、という視点はどうやらあの一作品で使い捨てられて、彼の心の中に埋もれてしまったようだ。 まことに残念である。
 

 

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 30日の朝6時半自宅を出発して高速の北陸道に入りひたすら南西に向って走る。
 運転する車はスズキキャリーという軽四のトラック、走行距離が9万5千キロを超えている。 しかも荷台はマロクンの犬小屋をはじめ大工道具一式などを縄でグルグル巻きにした荷物で満載、夜逃屋本舗の車かと見まごうばかりの姿である。
 結局サービスエリアで休み休みしながらだったが、それでも平坦なところでは80キロで走った・・・のだが高速道を3時間半の走行ですべての車の追い抜かれ、一台の車も追い越せなかった。 追い越し車線に入ったのは、進入路から本線へ入ってくる車を避けた時一度だけ、この時は追い越し車線に早い車が数台走っていてとても怖い思いをした。
 敦賀インタ−で高速を下りて、若狭湾沿いの道を走り、途中の大飯町から綾部へ抜ける道に入って、都合5時間半かけて綾部市の上林地区に12時過ぎに到着、荷物を降ろした。
 その後は綾部市へ出て、司法書士の事務所でお金の受け渡しをして領収書をもらい、それをもとに登記をしてもらう手続きを済ます。 福知山駅まで送ってもらい事故で有名になったJE西日本の福知山線の電車で尼崎へ、そこから神戸須磨へ。 昨夜はよく眠れなかったので電車の中はほとんど眠っていて、例のマンションの近くの事故現場を通過したのも分らなかった。
 
 翌31日、神戸市北区にある古民家を訪ねる。 須磨からは意外と近く20分ほどで着く。 自主見学になるので、遠慮しいしい建物の外部をぐるりと見ただけであったが、その昔医院をしていた家で、農家造りとはいえ外部廻りにガラス戸を多用して瀟洒なところもあるが、これを手直しするとなると半端なお金では収まりそうもない。 それ以上に、近接しているまわりの家々がなんとなく外者を拒絶しているような嫌な雰囲気が伺われた。
 その後車で5分ほどの所にある日本の民家で一番古い箱木千年家を訪ねて見学する。
 茅葺の大屋根の軒は低く廻りに下屋などはない。 さらに建物外部が土で大壁になっているので、朝鮮の民家を思わせるようなところがある。 部屋同士の仕切りは、柱に縦に切り込みを入れてそこへチョウナで表面をはっつた厚板を落とし込むやり方である。 内部はきわめてシンプルである。
 江戸時代に造られたという離れは、まわりが縁側で囲まれていて、その外に一筋鴨居の板の雨戸がめぐらされていてなかなか趣深い建物である。


 その翌日9月1日。 三宮へ出て映画を見る。 月の初めの日で誰もが1000円で入場ができる日で、場内は満席だった。 その後VANの店へ寄って昔懐かしいアイビー調の紺のブレザーを捜すが、VANの店は若者のファッションの店で大人向けの商品などはない。 仕方なくデパートへ行って紺色のダブルのブレザーを捜す。
 オフが捜していたのは昔懐かしい紺色で金ぴかのボタンのアイビー調のダブルのブレザーだったが、今はそんなのはどこも置いていないようだ。 昔オフが若者だった頃、ファッションにまわすお金などなくて、Gパンばかりで過ごしていて一度もアイビールックなどを身に纏ったことがなかった。 いまだに当時の憧れのイメージを引きずったままでいると、さんざん彼女にからかわれ、良い大人になった今そんな格好をすると安っぽく見えててダメよと言われる、しかし、やはり、あれがいまだに憧れなんだがなぁ・・・
 同じ紺でも黒に近い紺で、ボタンも地味な大人の雰囲気のブレザーに、同じくこだわりのグレーのズボンを注文することになった。 情けないことにオフの背丈やお腹のサイズに合う服やズボンのこだわった既製品など置いてないのだ。 今ごろ服など注文するのは、フォーマルな場に着ていくスーツどころか、普通のスーツやブレザーすら今のオフは一着も持ってないのである。 まあ、ベージュのユニクロのコットンジャケットぐらいはあるが・・・。
 じつは一ヵ月後彼女の姪っ子が舞子ビラというところで結婚式を挙げるのだが、そこへ招待されているが、着ていく服がない。
 昔の安物の黒の礼服はあるが、虫に食われていくつか穴が開いている。 黒のマジックで黒く塗って分らないようにしているが、やはりよく見れば誰でもすぐ分る。 オフが一人者ならそれでもいっこうに構わないのだが・・・ということで今回、不本意ながらもデパートでブレザーを注文することになったのである。