『雲を追い』

 気温が落ち着いてきたので日中山道をマロ君と小一時間ばかり散歩をしている。 
 昼前にその散歩に出たとき、峠から少し下ったところの路上に熊の足跡を見つける。 昨夜はまあまあの雨が降っていたから、この足跡は今朝以降のものだと思える。 今年は県内各地で熊による被害が出ているし、すでに何頭か射殺されている。 足跡は単独のものだったので、雄の熊だと思われる。 散歩の時は買ってきた鈴をシャツに付けた上に、キノコ採集用の長い柄の付いた小さな鎌を持って歩き、その鎌で舗装面を叩いてコツン、コツンと音を立てて歩いている。 万一のことを考えれば護身用に金属バットでも持って歩いた方が良さそうな状況だ。 散歩の途中まだ子供のマムシがいた。昨夜から今朝の寒さで動きが極端に鈍い。 どうしようかしばらく迷ったが、殺すことにして鎌の背で頭を潰した。 
 朝から小雨が降ったり止んだりで、肌寒い。 この秋初めての鍋料理、キムチ鍋をたべる。

 ≫十年くらい前までは姑であるこの母を火のついたように憎しみの言葉でまぶしていた奈児が、どういう訳か自分のほうから見舞いに一緒に行くと言った。母に限らず杜詞の姉妹たちをも同じように罵っていたが、最近は妙に懐かしがって会いたがったりする。奈児はかっての自分が杜詞の身内の女たちのことをあしざまに罵ったことをよく覚えている。杜詞は奈児の身内の男たちのことを決してそんな風には言わない人だった。要するに彼は心で思っていることを口にしないたちだった。そして奈児は思っていることを口にしない彼を憎んでいた。だが今思うと彼は思っていることを言ったところでどうなるものではないと思っていたのだ。いずれにしても奈児は彼のそのようなやり方をもっとも嫌なことの一つに思っていた。思っていることは言わねばならない、そして現在の状況をいくぶんでも変えなければならない、というのが奈児の主張だった。思っていることを杜詞に言わせようとしても、彼は決して奈児の思うようには口を開かなかった。
 それほどの大きな家でもないのだが、いわゆる旧家に生まれた姑は、その昔の育った家庭を忘れられず、家が没落したあとも自分が大家族のゴッドマザー的な采配を振りかざすようなところがあり、息子たちの嫁や、娘たちの婿はその傾いた太陽の被害者ともなったわけで、それぞれに不満があり、ゴッドマザーの息子や娘たちはそれぞれの配偶者と母の間に板挟みになって、家族の調和を保つためには沈黙して、すべてが治まるのを待つという手段を選んだのだろう。彼らは父親を五十年前に失い、以後無理無体の要求とはいえないにしても、家長のような権力を不当ではないと思ってあれこれ要求する母親のことを、対立する権力者としてではなく、むしろ保護しなければならない母親だという思いもあって、どちらの立場にも肩を入れず、ときどき燃え上がる配偶者の怒りの炎の自然鎮火を待つという姿勢を保ったが、ときにはその姿勢が炎をさらに燃え立たせた。

 ・・・・しかし、時が流れ自分がその歳になり、子供がその時の自分の歳に近付くようになるころは、強弱の関係はおのずと変化して立場が変わり、何かといえば懐かしい思い出の方が先に浮かんで憎悪の念よりもまさるようになる。対立者がひとたび弱者となれば、人は限りなく優しくなれるようだ。

 ・・・・恩讐を超えて親近感のみの増す嫁姑の間の複雑な思いが往復する。許すということは相手が弱くなることか、自分が成熟するということか、それとも残り少ない時間が和解をすすめるのか、今は息子の杜詞の母に対する冷ややかさの方に目が向くということになってしまった。
 「あなたは弱い母親を捨ててわたしに乗り換えるの?」という言葉は、むかし、「あなたはわたしとお母さんとのどちらを取るのよ?」と迫ったときと同じように杜詞をいじめる言葉になった。≪

 この文章は今読んでいる大庭みな子の『雲を追い』の中の<義母の死>から抜書きしたものである。 この中の名前の部分を置き換えればそのままかつての我が家の風景にそっくり置き換わってしまう。  ということはちょっと前の日本の家庭では程度の差こそあれ、似たり寄ったりの状況にあったと推測することができると思う。 まあ、戦後の都市化の中での核家族の中で成長した人にとっては、なに、それ?の異世界のことかもしれないが・・・しかし、そのような人たちにとってもまったく理解できない異世界のことではないはずだ。 このような家庭や人間の憎悪に根ざした状況は都市、田舎にかかわらず日本のあちこちに残っているだろうと思う。 そんなことを考えていくと以下の記述は考えさせられる。

 ≫平民(一般常民)の結婚 婿入り婚
 柳田国男の「明治大正史」によると,明治のはじめまでは、一般庶民は「婿入り婚」が多かったとかかれています。婿入り婚とは,男性が女性の家に通う形式です。一定期間,妻となる女性の家に通います。そして男性の家に「嫁入り」するのは,男性の母親が家事の一切の権利を譲るときです。従って,嫁入りまでに長い時間がかかることが多かったようで,当然何人かの子供を連れての嫁入りも珍しくありません。≪
  http://www3.ocn.ne.jp/~nw21/rekisi.konrei.html
 
 長い時間をかけて定着していたある意味では究極の合理的な家族の形が、より進んで文化的と考えられて採り入れられた結婚=家庭像によって反故にされていったことが窺える。