今日からオフの日記を元のこの場所へ移す。
 ということは今日から日常の生活を山の家で過ごすことにして移って来た。
 今年の十二月の末まで、この場所で日記を書くことになるだろう。
 さっそくマロ君を連れて散歩してぐるりと一周してきたが、今年はどこへ行っても山道沿いは片栗の花でいっぱいだ。 その外、スミレ、キクザキ一輪草、ショウジョウバカマなどもあちらこちらに咲いている。 
 

 今回神戸へ行っている間映画館へ行かなかった。  
 最近は激安のビデオを買って時々見るようになってから、映画から少し気持ちが離れている。      
 以前よく行った三宮のアサヒシネマという古い映画館が閉鎖になったのも残念だ。
 大きなビルの中に入っているおしゃれなシネリーブルとかシネカノンというミニシアター系の映画館はあるのだが、上映する映画が今ひとつ自分の好みから外れている。
 何本かのビデオを見たが、印象に残ったのは、「タブー」と「悪い男」二本あった。

 「タブー」はクローネンバーグが制作総指揮をした映画で、死をテーマにしている映画である。
 
 いきなり男が医者から腺癌に冒され余命は一年弱だと告げられる。 男はTV番組のプロデューサーで、本人は今が絶好調だと思っているのに。
 その男には息子と娘がいて、息子は売れない俳優でバツイチ男。 また娘は男の弟の娘で、弟亡き後養女として育てている。 裕福で一見幸福な家庭なのだが、それぞれ家族全員何らかの形で生きることに苦悩し<死>という問題がのしかかり、迫り来る死の影に脅えている。
 アメリカでベストセラーになった、「I`m Losing  yuo」 の映画化したものらしいが、 映画ではさまざまな死の問題の提示だけに留まっていて、最後の場面が取ってつけたような感じで今ひとつ迫るものが弱い。

 「悪い男」は韓国のキム・キドク監督映画。 そのあらすじは

 ≫売春街を取り仕切るヤクザの頭ハンギが、昼下がりの繁華街を彷徨っていた。やがて彼は一人の女性に眼を奪われる。しかし、その女子大生ソナはハンギに侮蔑の視線を向けると、待ち合わせていた彼氏のもとへと駆け寄る。その時、ハンギは強引にソナの唇を奪う。周囲は騒然となり、取り押さえられたハンギは男たちから袋だたきにあう。ソナにも唾を吐かれて罵られ、深い屈辱を味わう。抑えがたい復讐心と所有欲に駆られたハンギは、その後ソナを策略に嵌め、売春宿へと売り飛ばしてしまう。そして、見ず知らずの男に抱かれるソナを毎日マジックミラー越しに見守るのだった…。≪

 やや極端な筋書きだが、それを有無を言わせず強引に推し進めていくとストーリィ自体のリアリティが失われていくというより、どこかストーリィが現実離れして抽象化されて行き、そこにファンタジィともいえる単純なストーリィが生まれてくる、そんな不思議さがあった。
 最近、日本人にも受けに受けている韓流の秘密はそのあたりにあるのだろうか?
 いずれにせよベースとなるのは馬鹿な男の純愛である。 そしてその現実的には破綻したような男の純なるものを、すべて女が受け入れるというストーリィは、たぶん韓国の伝統的な男女の愛の原型をなすマザーストーリィなのだろうと思う。