う〜む よしよし

トコトコと何かが歩くような音で目が覚めた。が、まだあたりは薄暗かった
ので、もうひと眠りした。 次に目覚めた時は朝の明るい光が部屋の奥まで差
していて、障子に映る格子の縞と 揺れる木々の枝が目に入ったとたん寝てお
れなくなった。
 外は五月の快晴の朝の爽やかさで満ち満ちていた。

 新聞などから話題を取り上げて発言をして行けば話題は尽きないが、そうい
うものは極力控えめにするつもりでいるが、どうも最近のキナクサイ感じ対し
ては取り上げざるを得ない気持ちになる。
 
 拉致被害者家族会の支援団体「救う会」事務局(東京)に「5人の子供を連
れ帰った小泉純一郎首相へのねぎらいの言葉がない」「首相への暴言があっ
た」などと家族会メンバーに対する批判メールが殺到している。との報道が
あった。

 家族会への反響は、事務所を持たない同会に代わり、支援団体「救う会」の
事務所に続々と届いている。26日までに電話は数百件、電子メールは120
0件に達した。
 当初は家族会への批判が中心だったが、それが報じられると、こんどは支援
の声が巻き返した。それでも3分の2が批判だという。
 家族会として「予想した中で最悪の結果」と訪朝を評し、その日深夜には、
首相と面会した家族会メンバーが、首相を厳しくただす場面が、テレビで放送
された。直後から反響が殺到したという。

 拉致被害者会は国民の前で「このたびは、娘や息子のことで、総理に大変な
ご迷惑をおかけいたしまして・・・」という態度をとっていれば、「う〜む、
よしよし」となるのだろうが、自分の意見を述べたり少しでも批判的であれ
ば、なんだ!生意気な・・・となるのだろう。ご老公が紋所をかざした後、いや
実はうんぬんと自分の考えを述べることは蛇足ということらしい。寄せられた
批判メールも、総理に対してねぎらいの言葉がない、とか、態度がでかい、と
かいった感情的な批判がおもらしく、被害者会の主張の内容に対する批判では
ない。 先のイラクでの拉致事件の場合と同様、今この国の人々の間には感情
的でイライラとした気分が蔓延していて、この先ろくなことにはならない気が
する。


 東京都教育委員会は25日、都立高校の卒業・入学式で「君が代」斉唱時に
起立しない生徒がいた学級の担任ら57人について、生徒への指導が不足して
いたとして厳重注意などの指導をすると発表した。都教委が昨秋、「日の丸・
君が代」の徹底を求める通達を出して以来、生徒への指導責任を問う措置は初
めて。
 また、卒業式・入学式で起立しなかったなどとして公立小中学校、都立校の
教職員3
9人を戒告、都立校の3人を減給(10分の1、1カ月)とする処分を発令し
た。
 都教委が昨秋、学校行事で「日の丸・君が代」を徹底するよう求める通達を
出して以降、周年行事や卒業式、入学式での処分は計約250人になる。

 なんぼなんでも生徒の行動を教員の怠慢や指導不足として厳重注意するのは
お門違いだろう。 生徒はまだ未成年であるとはいえ人格人権を持った一個の
人間である。 その生徒がい指導した通りに動かなかったからといってその教
師を厳重注意とはおかしいンジャないの。 その考えは、逆に言えばそれらの
生徒が自分の考えにもとづいて主張したり、行動することを認めないことであ
るだろうし、生徒は指導する先生の指示通りに動くのが当たり前という人権、
人格を無視した考えを根底にしている訳だ。
 このままでいけば、教員は起立すべきと決められた時は起立する、と指導し
なければ失格教員として烙印を押されることになるだろう。つまり生徒に決め
られた指導方針を強制して回らなければ責任をとらされることになる。

 この東京都教育委員会に対して文部科学省は、教員本人が起立しなかった
ケースだけでなく、生徒が起立しないことを理由にして教師を注意や指導をし
たケースについて「あまり聞いたことがない」と言いながら静観することにし
ている。

 朝日新聞の文芸欄にこの四月から月イチで島田雅彦が毎月の文芸評を書いて
るが、昨日の五月の評の文章が良かった。さわりだけでも書いておこう。

 おのが主義主張を通す・・・・これはかなり能動的な意志を必要とする。誰もが
理論や思想の裏付けがある主張をできるわけではなく、世の自己主張の多くは
感情的である。また理論的ではあるより感情的であった方が共感を呼ぶ。世論
というもののその実態は喜怒哀楽の集団的表現である。世論を構成する個々人
は常に受身の立場であり、メディアの論調や表舞台に立つ「時の人」の言動に流
されやすい。
 パフォーマンス政治やワンセンテンス・ポリティクスもそうした受け身の
人々にアピールする必要から生まれた。移り気な世論を操作するには複雑な説
明はいらない。単純な感動を与えておけばいい。説明よりも逆ギレを武器にし
ている首相はそう考えているに違いない。政治はまさに通俗小説の方法に基づ
いているのである。イラクの人質事件にしても、「自己責任論」が出るや、本
来被害者である人質とその家族へのパッシングとう集団的ヒステリーに発展し
た。誘拐事件のそのものの原因を作った政府はまんまんと自衛隊派兵反対の世
論を封じ込めた。