藍色夏恋


  先日切り倒した山の家のまわりの雑木がだいぶ乾いたので、小枝を切り落とし幹を
焚きモノにした。
 家の中でじっとしておれば風が吹きぬけて大変気持ち良い気候だが、動くとジワリ
と汗をかく。 

 岩井俊二の青春映画を見ているような台湾映画のイー・ツー・イェン監督「藍色夏
恋」という映画をビデオで見た。 終始怒ったようなポーカーフェイスをしている一
重瞼のグイ・ルンメイがなんとも可愛いい。  この中で男に初恋をしているがそれ
を認めたくない女ルンメイが、突然、あんたの秘密を教えてよ、と男に執拗に迫る場
面がある。 それに対して男はかなり躊躇しながらも意を決して、 じつはオレの小
便がまっすぐ飛ばないで、バラケて飛ぶんだ。と情けなさそうに答える場面がある。
 アハハ〜男ならすぐその意味しているところは分るのだが・・・少し笑えるがなん
とも爽やかな場面であった。
 子供から大人への過渡期である青春時代とは、ある意味では人には言えないコンプ
レックスとどう折り合いをつけるか悩む時期でもある。 少し強がってブッテ見せた
り、素直でない自分への苛立ちや不安、そういった青春の負の部分を連ねて描かれた
この作品の爽やかさが良かった。
 
 昨日書いた最近の日本の国民に蔓延しているイライラとした傾向の背景のひとつ
に、グローバリゼィション化があると思う。 正確にはアメリカングローバリゼィ
ション、つまりアメリカ社会をモデルとして日本でも敷衍して行こうという流れへの
漠とした不安であるが・・・。
 戦後の日本の高度経済成長に支えられてきた保護主義的なというか、社会主義的な
平等主義が行き詰まり、規制緩和の名の下に登場した小泉内閣が推し進めているの
は、競争原理を取り入れることで社会を活性化させようとすることである。 それは
勝つということはよく頑張ったことである、とご褒美の分け前を多くすることで、
人々にやる気を起こさせ、社会を活性化させようということがベースになる。
 まあ、これからは戦後の各分野の平等的な調整つまり規制が外れ、分野においては
勝ち組的分野と負け組み的分野がハッキリしてくる。 また同じ分野においても勝ち
企業と負け企業の色分けもハッキリするだろう。 さらに同じ企業の中でもこの先個
人の賃金格差はますます広がるだろう。 同じようにガンバッテ働いても結果が出せ
るか出せないかで、一方はドリームを手にするし、一方は惨めな下積みで終わらざる
を得ない。 そのような流れの中で、行く先に対する人々の漠とした不安が社会の底
辺に澱のように沈殿し始めている。

 官民が一体となった利権構造で守られていた戦後の保守の本流は、その思想的な背
景は自由主義に置いていた。 三分の一程度いた革新の自由を認めながら、既存の利
権構造をガッチリ築いて自らを守ってきたが、自ら築いた利権構造から甘い汁を吸う
ことで堕落して、小泉首相石原都知事の出現で全体主義を背景にする新保守にアッ
と言う間に基盤を覆されてしまった訳だ。  あたかも水戸黄門が利権構造に胡坐を
かいていた既存権力を、なぎ倒すのに快哉を叫ぶ庶民大衆を背景にして、メッタ切り
にされてしまった。 大衆は今、不正疑惑におののく既存勢力が倒れるのを目にしな
がら、日頃の鬱憤のはけ口を見出し、新しい政権が自分達を何処へ導こうとしている
のか知ろうとしていない。
 
 新しい政権は底流でアメリカ流の競争原理をとりながら、戦後の個人主義的自由を
ベースとした個々人が自立を目指した社会から、孤立した個人を家族主義あるいは家
庭主義とでも言うべき輪、中規模の地域共同体的な輪、大きくはナショナルで民族主
義的な輪で何重かに包んだ社会を目指すことが憲法改正などを視野にいれながら目論
まれている。 たしかにそのような包み込みには家族主義や国家も天皇を中心にした
大家族という捉え方に馴染んできた日本人には心地よい面はあるだろう。

 今日の状況は大きなそのような流れの二面の挟み込みのなかで、ある種の自由を標
榜する個人(人々はそれを匂いのようにかぎ分けて)を捉えては魔女狩り的いじめが始
まったと見て良いだろうと思う。