人格ではなく人権だろう

山の朝の目覚めは気持ちがよい。 布団の中でいったん目覚めるともう後は寝てお
れなくなってしまう。 そんな訳で今朝も5時頃に目が覚めた。 昨夜は12時過ぎ
に寝たというのに・・・だ。
 昨日は夕方から豆を植えた。 大豆であるが、前に造った味噌が5年以上経ってカ
マンベール味噌になってしまった。 そこで今年の冬はまた味噌造りに兆戦してみた
いと思っている訳だ。
 先日、下の家の若が昨年まで里芋などを植えたいた畑を使ってもよい、と言ってく
れた上に、ついでだからとトラクターで土まで起こしてくれた。
 今回神戸から早めに帰ってきたのは、豆を植えたかったからでもある。 すでに平
野部の転作田に植えられた大豆は芽を出し始めている。 農作物は植える時期が早
かったり遅かったりするとろくなことにならないものだ。 まして今年は例年より少
し季節が早回っていることだし・・・。
 古い小さなディーラーで浅い畝を造って、長靴の幅ほどの間隔で穴を掘り二、三個
づつ植えていく。
 問題はこの後鳩やカラスに植えた豆を掘り出して食べられないことなのだが・・
・。
 昨日は二畝を植えただけだったが、かがんでの仕事でさっそく腰が痛くなってし
まった。
 
 今朝も残りの畝を植えていると、下の家の若と奥さんが来て手伝うわ、と言ってく
れた。
 そして豆を植えるのは畝の上に植えていくのではなくて、畝の横から棒で斜めに穴
を開けてそこへの隙間へ豆を転がし、棒を抜くと土が崩れて土をわざわざ掛けなくて
もよくて早く仕事が進むし、後で草取りを兼ねてディーラーで株に土寄せをするのに
もやり易いと教えてもらう。 それを実践しているのを目の前で見ていて、アア、ナ
ルホドなぁ!と納得する。
 気が付くとカラスが一羽近くの木に止まって作業を見つめていた。 手にした土く
れをいきなり投げつけると、おおきく羽を羽ばたいてどこかへ逃げていった。 若は
昨年まで蕎麦を撒いていた畑をトラクターで耕して、そこへも豆を植えてよいと言っ
てくれた。 そこへは後日黒豆を植えるつもりだ。
 
 さて、少し前の皇太子の后の人格を否定するような動きがあったという発言をめ
ぐって、この問題についていろいろな憶測が出ていたが、どうもはっきり言えないま
ま居るか居ないか分らないような悪者探しに終始していた感じである。
 まあ話が菊のカーテンの向こうのやんごとなき人の話であるだけに、歯切れのよい
発言が出てこない、どこか腰の引けた感じで女帝問題もおもむろに出かけたのだが、
その問題を積極的に取り上げて国民的議論にしようという動きは無いに等しい。
 しかし、この問題は宮内庁サイドに悪者が居るか居ないかの問題ではないだろう。
 問題の本質は現在の天皇制がかかえている天皇一家の人権問題なのだ。 今年の憲
法記念日にも少しこの事に触れたが、象徴天皇という名の下に天皇一家の基本的な人
権を剥奪して平気な日本国民全体の問題なのだ。 しかしここに至ってもこの問題に
政党はおろか評論家の誰一人として正面から触れていないのも情けない。 以前どこ
かで岩井克人天皇に継承の拒否権を与えるべきだ、と控えめに発言していたことが
あったが、これをきっかけに天皇制そのものの継続、廃止議論がどこからか起こって
も不思議ではないと思うのだが・・・