道徳教育

夕方マロ君と散歩に出かける途中、豆を植えた畑の横を通ると鳩が一羽飛び立っ
た。
 ああ来ているな、と思ったが見張っているわけにも行かず通り過ぎる。 上の畑も
見に上がったがそこには鳩もカラスも居なかった。 散歩の帰り道やはり畑の中に鳩
がいた。 飛び立って近くの木の上に留まり、行き過ぎるのを待っている。 しばら
くその場に立って様子を見ていたがどうしょうもない。
 JAから買ってきた大豆には忌避剤というものが塗ってあって表面が赤い。 これ
は毒ではないが鳥が豆を食べても美味しくないようなものが表面にまぶしてある訳だ
が、それでも最近の鳥たちは食べるらしい。 いっそ農薬をまぶしておけば、と言っ
ている人がいたがさすがにそれはあんまりだろう。
 
 15日の朝日新聞に哲学者の梅原猛氏が「反時代的密語」と題して、日本が戦後民
主主義に見合う道徳を創造してこなかったことについて評していた。
 梅原氏は戦前には大日本帝国憲法の翌年に教育勅語が作られ法律と道徳が対になっ
て日本帝国の発展の基礎をなした。 だが戦後はそのような道徳的な基盤になるもの
が造られなかった。 そのことが道徳なき人間を造り、理由ない殺人や汚職や詐欺等
の恥ずべき犯罪を引き起こしているという。 
 戦後憲法制定の翌年教育基本法が作られたが、確かにそこには人権や平和や平等に
ついては書かれているが道徳的な規範、たとえば人を殺してはいけない、とかは明記
されていない。
 さらに梅原氏は「日本の庶民の道徳的水準はまだそれほど低くないと考えている
が、日本人が長い間、精神の糧としてきた仏教や神道儒教の教えがまだ残っている
かであろう。その道徳的遺産も尽き、道徳性のまったく欠如した人間の跳梁する恐る
べき時代が遠からず到来するにちがいない」とも書き さらにそうならないためには
政府にそれを期待できないので「何人かの個人によって試案が作成され・・・その試
案が統一され公論となってしっかりした民主主義道徳が作られ、そのもとに日本の教
育が行われるべきであろう」と提案している。 そしてその道徳の核になるのは仏教
神道儒教であり、とくに仏教は平和と平等に根本をおくから民主主義にふさわし
いと薦めている。

 たしかにお説ごもっともなんだが、何かしら引っかかるものが残る。
 それはなにゆえ我々は宗教的なものを信じなくなったかという問いが抜けているの
ではないかと思うからである。 宗教離れが起きているのはなにも日本人に限ったこ
とではない、近代化が進んだ社会において欧米を初めとして世界的な流れとして人々
は宗教から離れ始めている。 そのひとつに科学的なものの見かたの広がりがある。
 現在の宇宙はビックバンによって膨張を始めた時を、太陽系が出来その後35億年
前に地球に生命が誕生し、今日までだんだんと複雑化しながら進化をなしてきたとい
う考えを知ることで我々は宗教的な世界観から少しずつ離れた行き、いったん科学的
な考えに馴染むと宗教的な教えを素直に受け入れがたくなる。 また教育の中に仏教
を取り入れることを提唱されても、それを教える先生がその宗教の信者であるとは限
らないだろうから、結局は宗教的な道徳を取り上げてもそれを一般的な知識として教
えるしか方途がないだろう。 それに仏教といっても子供達の知っている日本におけ
る現実の仏教は、檀家制度で守られることで葬式などを執り行う一種のサービス業的
な職業に組み込まれているのが現状である。
 とするなら、あえて仏教や神道儒教などの宗教を標榜することをわざわざ持ち出
すことなく、人の道としての倫理、道徳を教える、とすれば良いことではないかとい
うことだ。