ヨハネ・パウロ2世

 朝から曇り空で、日中の温度があまり上がりそうもなのいので、自宅へ帰って草
刈をする。
 エンジン付きの刈払い機は先途から調子が悪い、午前中ははエンジンが掛ってのだ
が、午後にはもう掛らない。考えてみればこの機械を買って7、8年経っている。ホー
ムセンターで一番安いのを買ったのだから、そろそろ寿命かもしれない。
 仕方ないので芝刈りをやる。こちらは今年は月に二、三度刈り込んでいるので簡単
に終わる。
 庭の真ん中にある栃の木の葉っぱが全部毛虫に食われて丸裸状態だ。大きな葉っぱ
が全部なくなったので、庭は日当たりは良くなって明るい。多分この後栃の木は再び
新芽を出して葉が繁るだろうが、年に二度も新芽を吹くのは、木にとってかなりの負
担だろうと思う。
 
 今月の初めブッシュ米大統領は欧州歴訪の最初の訪問地ローマに到着し、バチカン
市でローマ法王ヨハネ・パウロ2世と会談した。法王は終了後声明を読み上げ、イラ
ク暫定政権発足を評価した上で、国際社会が一体となってイラクへの早期主権移譲を
推進するよう促した、とある。

 このヨハネ・パウロ二世はイラク戦争が始まる前から、この戦争には反対を表明し
ていて、その理由に「イスラム教徒と戦ってはいけない、異宗教との戦いは最後は泥
沼のような戦いになる」と反対していた。 まあ、愚かなブッシュ米大統領はその忠
告を聞かず「この戦いには大儀がある」と言って戦争を始めてしまったのだが・・
・。

 変な話だが、このローマ法王の反対の理由が面白いと思った。
 さすがにカソリックの頂点に立つ人、この人は宗教の本質をよく分っていらっしゃ
るんだなぁ、と思った訳だ。
 昨日の話にも通じるが、近代化をなした社会においては宗教は、というより信仰
は、個々人の内部の心の中の問題となってしまった。 しかし、イスラムの社会やユ
ダヤ教の社会では信仰が今だ個々人の内部の問題と堕落、変形していない。 しなわ
ち信仰は人々の生きるための倫理、道徳であり、律法でもあり、さらには人の生き方
そのものと不可分なものなのである。 その社会ではいわば近代以前のままの形で宗
教が残っているのである。
 梅原猛が近代人の心のありようの問題を棚上げして、仏教や神道儒教の道徳的な
精神を近代人の心の上に取って着けようといくら主張しても、それはハナから無理な
話なのである。
 悲惨な事件や戦争などの現実的な問題に直面して、我々に出来るのはせいぜいヨハ
ネ・パウロ2世のように戦争に反対を表明したり、日々起きる個々の悲惨な事件のた
びに、オロオロとこころを痛めているぐらいしかなしえないのである。