戦後民主主義

 涼しいというより半袖では肌寒い日だった。 東よりの北の風が入り、昼の最高気温が22度ぐらいまでしか上がらなかった。 太平洋沖を北上している台風が北の冷たい空気を引き込んだのだろう、いわゆる梅雨寒である。 昨夜も小雨がぱらついていたので薪が乾いていないので、今日も薪切りは中止と思っていたが、この涼しい日を見逃す手はないと少々濡れていたが薪を切る。
 
 母親の家の近所の人が亡くなった。 これでここ一年弱の間に親父の葬式も含めて七度も葬式に出ていることになる。 まあ、田舎は過疎化が進んで、まわりは老人ばかりなので致し方ないのだろうが・・・
 
 なくなったのはH・愛子さんといってまだ八十歳まではいっていなかったと思う。 オフより一歳下の娘さんがいて、娘さんは愛らしく可愛い方だった。今は結婚して千葉県で住まわれているとのことだ。 愛子さんも年の割には小奇麗な方で、若い頃は男達にいろいろ騒がれた方ではないかと思う。  最近は一人住いであったが、自宅で書道を教えていらっしゃって人の出入りは結構あった。 ご主人はずっと旧国鉄に勤務されていて癌で先に亡くなられているが、国鉄がJRになった後も嘱託かなんかで駅に勤務され、暇があればよく駅周辺を綺麗に掃き掃除をされていた印象がある。 外から見ていただけだが、オフの感じではまさに戦後民主主義を体現したような家庭のひとつだった。 町には戦後急成長し大きくなった会社があり、そこへ県外から来て会社の社宅や宿舎などで暮らしていた家庭や家族があり、それを戦後民主主義のイメージと絡めて羨ましく眺めていたものである。  そんな家庭の一人が中学生頃の文集に、家族揃って登山をした話、を書いていたのなどを羨ましく思い今でも鮮烈な印象で覚えている。
 オフの場合は家には両親はいなくて自分ながら特殊な家庭と見なしていたが、すぐ近所に、祖父、祖母、父母と子供三人、そこの親戚末裔もすぐ近くにごちゃごちゃと住んでいる家庭があった。 その家庭の父親もましてその嫁の母親も頑固な祖父、祖母に頭が上がらず、何事も祖父母にお伺いを立てて決めていた。 その家庭の長男がオフと同級生だったが、彼が中学の時ブラスバンドクラブに入りたいと言ったら、おじいさんがラッパなどを吹いていると肺病になる、と反対してダメになったとしょげているのを見て、何と古臭く堅苦しい家庭だと、他人の家庭ながら腹を立てたこともあった。
 小学生の頃見ていたTV番組「名犬ラッシー」などの中で、家庭に自家用車や大型冷蔵庫などの豊富な工業製品があることももちろん羨ましいと思ったが、それ以上に、子供の考えや意見を大人が真面目に取り上げてくれる家庭像をみて、ああこんな家庭に住みたいのだ、と強く憧れたものだった。

 夕方、豆畑を見回ったら、先日植えた黒豆の芽もほんの一部が出始めている。
 この畑は昨年まで蕎麦を植えていた畑なので、昨年の収穫の時こぼれた種から蕎麦の芽も沢山出ている。 また自宅のほうの畑では茄子が収穫した。これからは盛んになると一株に二、三個の茄子が取れる。 どんどん漬物にして食べないと追いつかなくなる。
 もうじき神戸へ出かけるがその間の収穫を、さてさて、どうしたものかと悩んでいる。
 それにプラムが今年は大豊作でこれも困っている。 最近はあまり酒を飲まなくなったので、プラム酒を造ってもなぁ・・・多分瓶にいっぱい詰め込んでも2.30升分ぐらい作れそうな量なのである。