参議院選挙

 選挙に出かけた。
 期日前の投票だが、以前の不在者投票の時のような煩雑さはないが、一応投票日、名前と住所、生年月日などを記載せねばならない。その上で簡単な理由にマルをすれば終わりだ。来週から神戸へ出かけるので理由は旅行である。
 衆議院小選挙区制なのは分っていたが、参議院衆議院の場合とまったく同じで、地区の選挙と、政党名を書く比例代表制の二本立てだったんだ。
 しかし、これじゃ選挙区の範囲と候補者の顔が変わるだけで、参議院の独自性といっても制度的な面からいっても独自性が発揮されるハズもないだろうし、参議院の存在意義すらないといえる。 おそらく衆議院の選挙と比べて投票率は確実に低いだろう。
 調べてみると平成に入ってから投票率は減り続け、なんと平成7年には44,52パーセントに下がっている。 その後、投票時間を二時間延長して何とか50パーセント台を確保しているが、国民は参議院に対して明らかに軽視していると見てよいだろう。
 それは国民の責任ではなくむしろ勢力の現状追認的な制度を作ってきたこれまでの国会の責任だろう。 なお投票率の推移は以下のサイトで見れる。
 http://www.soumu.go.jp/senkyo/suii.html

 さらに言いたいことを言わせてもらえば、小選挙区比例代表制による二大政党制に対しても批判的な考えを持つ。理由は簡単である、選択の多様性を保障していないからである。 人々の選択は閉鎖性から開放性へ、つまりいつも言うクローズ→オープンであるが、それと同時に単純化から多様性へと流れているのである。
 これに竿を刺そうといういう動きはいずれ行き詰って破綻する。
 
 なお、上のサイトでは年齢別の投票率も見れるのだが、それによると65〜69歳の投票率が一番高いが、それは毎回その年齢層の投票率が高いのかどうかだし、毎回投票する人の年令は上がっていくのだから、ある特定の期間に生まれた人達(たとえば団塊の世代とかの)の投票率の推移を作って比較すれば、年代による政治へのコミットの色合いを時間軸を絡めて見ることも出来て面白いだろうと思う。
 
 午前中は葬式に出た。 最近はわが町でも葬祭場が二軒も出来た。
 人が死ぬのは、これからの暑い時期か、寒い時期が多いものだが、暑苦しい礼服を着ていても冷暖房の効いた葬祭場で椅子に腰掛けて葬儀が行われるので大変楽である。

 午後からは薪を切った。 昨日とは違い暑い日が差す中でやった。 これで今日で庭にあった材木の山を全部切ったことになる。 この先材木屋がもう少しコワを持ってくるだろうが、それは秋の仕事だ。 暑い中での仕事だったが、終わってみると力仕事の達成感はなんともいえぬ爽やかなものがある。