「列車に乗った男」

 昨夜は夜中から雨が降りはじめ、気温が一時にぐっと下がった。
 毛虫に葉を食い荒らされて丸坊主になっていた栃の木は、薄緑色の葉を繁らせて風に揺れている。
 神戸へ出掛ける前に芝刈りをした庭には、もうすでに雑草のエコノクサが葉を繁らせているが、どうやらクローバーは新たな葉を繁らせなくなった。
 それよりもなによりも、畑がすごかった。ナスビがスズナリで一株に多いのは十個も実が成っていた。スーパーの大きな袋満杯にして二袋ぎっしり採れた。 あまりに大きなモノは捨てるとして、毎食ごとに焼きナスを一個ぐらい食べていてもとても追い付かない。 漬物にして食べるしかない。 朝鮮ナンバやキュウリも同様にヤレヤレというほどの収穫だった。 またあれほど成っていたプラムはものの見事に一個もなくなっていて少し淋しい。神戸ヘ送ったものを食べてみて、意外と生食でもイケルと思ったからだったが・・・。

 神戸滞在中に二本の映画を見た。「列車に乗った男」フランスのルコント監督作品である。なおこの監督作品の「髪結いの亭主」と「仕立て屋の恋」をビデオで見ている。

 皮ジャンを着て旅を続けるいかにも訳あり中年男が小さな田舎町に降り立つ。ところがシーズンオフでホテルが開いていなかったため、偶然立ち寄った薬屋で知り合った狭心症の老人の家に泊めてもらうことになる。
 自由奔放に好き勝手な人生を歩んできた男と、一度も危ないことをしたことがなく、平凡に生きてきたまま年老いた孤独な元教師。それまで何の接点もない二人だったが、お互いに深く孤独という点においてだけ共通で、ポツポツと語り合ううちに長年の友達のような親しみと静かに抑えた友情が芽生える。やがて二人は相手の中にあるそれぞれの自分の人生からあえて避けてきた生き方に、ある思いを抱くようになる。 人生の節目、節目でこのようないわば無いものねだり的な妄想を我々は夢見る事はよくあることである。しかし、その夢をいつも一時の夢として心の隅に押しやって我々の人生は過ぎて来ているのであるが・・・
 その心に芽生えた一時の妄想を取り返すためにその後生きるのか・・・押さえた調子で物語が展開するのは地味なこの監督の毎度のスタイルなのだが、押さえがたい思いを抱えたまま、最後の瞬間に向かってひた走る展開はこれまでの作品以上の緊張感があった。   
 オフの評価点50点。