『分断されるアメリカ』

 新潟県三条市周辺で豪雨で堤防が決壊したしたが、その後梅雨前線は南下し福井市上流で豪雨を降らせた。ちょうどその中間に当る富山県は幸いなことに少々の雨が降っただけで終わった。
 人が何人か流されないと梅雨が明けない、などという物騒な話が昔から語り継がれているが、まさにその通りの年だった。
 
 今朝は5時半頃に目が覚め、早起きした朝の恒例でラジオで朝のバロックを聴きながら朝食を食べていた。 番組が終わった7時過ぎごろからなんとなく眠くなり、そのまま寝転んでいる内にふたたび寝てしまい、起きるとなんと10時だった。 その後も今日は完全休養日と決めていたのでダラダラとネットで他人の日記などを見て過ごす。 75年に起きた津田塾大学女装父親替え玉受験なるおかしな事件や、松山で同僚のホステスを殺害しその後整形手術を受け逃亡し時効三週間前に逮捕されたという福田和子の事件の裁判記録などを見る。
 世の中には信じられないような事件があるものだとあらためて感心する。 それはすでに起こった過去の事件として読んでいるからそんなこともあったのか・・・という受け取り方で読んでいるが・・・じつは女子大の受験にその父親が女装して替え玉受験した、などと言う話を聞いても普通ではありえない悪い冗談話だと思う。
 まあ、そうしてみればこの世は信じられないないことが起こるまことに退屈しない場所だなぁと感心するばかりである。
 ここのところ毎食ごとにキュウリモミとナス焼きを食べているが、少々飽き飽きしてきている。
 玄関横に青ジソがたくさん生えてきているのに気が付き、昨日からそれをちぎってきて刻んで添えているが、これは食欲をそそってくれる。

 午後からはサミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ(ナショナルアイデンティティの危機)』を読んでいる。
 これは原題が『Who are we』で直訳すれば我々とは誰なのかである。いかにもどこかへ迷い込んでしまったようである。   
 冷戦が終わった後、二つの異なる未来観がアメリカの学者によって提出され、社会科学者たちのあいだでひとしきり議論になった。ひとつがフランシス・フクヤマが唱える未来観で、彼の著書『歴史の終わり』の中で資本主義と民主主義が勝利を収めたことで世界の政治経済システムが一極に収束し、それに伴って価値も一極化していくことを予測するもので、これは世界の中心が今も将来に渉ってもアメリカであると信じて疑わないアメリカ人に大受けした。
 もうひとつは『文明の衝突』で、世の中が今後とも多極化を続けると見なし、今後とも多極化と異なる文明同士の衝突が続くことを予測したハンチントンであった。 どちらの予想が当っていたかは、9・11以降の世界情勢を見れば明らかではあるが・・・その後に彼がテーマに選んだのがWho are weというのが何とも面白い。