キス釣り、年金制度

 友達と四人でキス釣りに出かける約束で、昨日は夜のうちに山を降りて自宅に泊まった。
 昨日は富山市が全国で最高の37度を記録した日で、窓を閉め切っていた自宅はモワ〜ッとした暖かい空気で膨らんでいた。 外には風もないので室温は下がらず、12時前にビールを飲んで横になったが寝付けない。 一時頃起きて今度は酒を飲む。
 しかし眠れない。 ここのところ涼しい山の家で寝ていたせいだろうか、2時頃起きてもう一度酒を飲む。 酔いに任せて少しウトウトするが暑いので寝苦しい。結局ちょくちょく目を覚ましながら5時まで何とか眠る。
 5時半自宅集合なので、あわててご飯を焚き、釣り道具の点検をする。三人が集まった時は納豆をかけたご飯を掻き込んでいたときだった。
 途中釣具屋三軒に立ち寄ってようやく餌のスナイソメを調達して、雨晴らしの海岸に着き、ゴムボートを出したのが7時半ごろだったろうか、予定では3時間ほど釣りをして一人十匹あまりキスを釣ろうと話し、二隻のボートに分かれて漕ぎ出す。 オフはじゃんけんで奥野君と組むことになった。 去年も彼とだった、まあ彼とは何をするにも一番相性が良い。
 釣りをしている途中で相手ののボートが岸に向かって漕ぎ出した。それを見ながら忘れ物だろうか?いや誰かがウンコをしたくなったのだろう、おそらく大西だろうと・・・などとくだらない推測をしながら釣りをしていた。 コチもキスも大型のものが釣れたが、数は少なく一人10匹がやっとで、昨年の半分に満たない釣果である。
 中年の男四人が乗って走っているとロクなことはない。 途中アダルトビデオや妖しい大人のおもちゃなどを売っている店に寄ろう、ああいう店は一人では入る気がしないが四人もいれば気もデカイと勢い込んで立ち寄れるぞぉ!・・・がダラダラと店内を見ただけで、何に使う小道具かよく分らないようなものも多数あり、こんなものかと納得したような、しないような気分で店を出る。
 さらにスーパーで食材を買いこみ自宅へ戻って恒例の酒盛り。
 キスは塩焼き、澄まし汁、コチは空揚げで・・・さらにてんぷらするために魚を開いたが、酒がまわり始めると例によって面倒になって中止。 夕方少し前から雷が鳴り始め、土砂降りの雨、近くに雷が落ちて停電。

 さて、国民間所得のの格差の大きい社会は、不安定になりやすいリスクがある。
 国民間だろうが、国家間だろうが富に大きな格差があればそれだけで不安定要因であり、富める側の安全はおのずから不安定になり、必要になるのは防御という理由で自分達の安全を守る強い用心棒が必要になり、それが国家なら強い軍隊が必要となる。
 また、最近は日本に滞在する外人が増えて、それらの外国人による犯罪がマスコミを賑わすようになった。 つい先ごろまでは日本は世界一安全な国といわれていていたのが、滞在する外国人が多くなるにつれてその人達が起こす凶悪な犯罪が目立ち、日本の安全神話は崩れつつあると人々は感じている。  その理由に人々は外国人の増加を挙げる人が多いが、その見解は少し短絡しすぎている。 たとえ外国人どれだけ居ようとも、その人々と所得の格差がなければ、その外国人が強盗などの凶悪な犯
罪者になる恐れは少ないのである。
 問題は世界の格差あまりにもありすぎることが、われわれが安全を手に入れられない最大の理由であり、少しでも強い警察力や軍隊を持たねば安心できないことの最大の理由である。

 アメリカが銃社会であることについて、いろんな見解がある。 最近、映画「華氏911」で注目を浴びているマイケル・ムーア監督が前作「ボーリング・フォ・コロンバイン」で、その問題をいろんな角度から取り上げていた。
 映画の中でハードロック系の歌手マリリン・マンソンアメリカ白人が銃を手放せないのは、他でもない<恐怖>からだ、とズバリ指摘していた。 マンソンが指摘するのは、アメリカが銃社会なのは建前は平等な競争だといいながら、じつは競争前からの差別、格差、不平等は厳然とあり、その事を内々には知っているメジャーな人々はその恐怖から自由になれなく、手元から銃を手放すと不安なのである。 その恐怖こそが銃社会そのものの根源なのであると指摘する。
 たしかに現在、白人とその他のマイノリティとのあいだの人種問題は法的な形の上では存在しないことになっているが、これまでの歴史的な経緯もあるし、現実には歴然とした所得の格差がある。 そのことが潜在的な恐怖となってアメリカのメジャーな人々は銃を手放せない。 しかし、もしこれが現実にメジャーは人々とマイノリティーとに平均的に生活水準の格差がなくなれば、おのずから銃社会の問題は解消されと考えるのであるが、ところがそれはアメリカの社会の根幹に関わる問題なのであ
る。 
 アメリカンドリームを目指す競争社会であるアメリカでは、おおきな所得の格差が社会を発展させる大きなファクターとなっている社会なのだからだ。 また何ゆえ国家間の軍拡競争でアメリカが一番になることに異常にこだわるか、という理由も同様であると考えられる。

 われわれはどうしたら安全に暮らせるか、ということも今後の社会を選ぶ選択の重要な基準に入れなくてはならない。  (つづく)