年金制度について その4

 昨日の雷雨の名残りで、朝の内は比較的涼しかったが、やはり夏であるお昼が近づくに連れて暑くなり始めた。
 昨日からPCがオンラインで使えない。 昨日激しい雷が夕方から鳴り続いていたせいかどうか分らない。 やはりPCが使えないと不自由する。 というより何かでちょっと時間が空いた手持ち無沙汰な時間に、なにげなくPCの前に座ってスイッチをオンしている。 そんなことを一日の内何回繰り返しているのだろう。   それが出来ないと生活のリズムが狂ってしまう。 そこまでPCは今の自分の生活に食い込んでいるのを感じる。
 以前まだTVを見ていた頃、よくあてもないままリモコンでTVを点け、別に見たい番組があるわけでもないので、リモコンを操作してチャンネルを一回りさせて、すぐまたスイッチを切っていた。 そんなしょうもないことをよくやっていた。

 現在同じ先進諸国の中で経済システムは、個人の利益追求基盤にした資本主義を採っていても、どちらかといえば税収などで国民間の平等な社会を実現、福祉や相互扶助的な社会の実現を標榜しているのはヨーロッパ社会。
 それに対して自由な競争に比重を置いて、格差は競争の結果であってそれを必要以上に是正しない社会、いわゆるドリームを目指し、その結果はどうあろうと自己責任において引き受けようとするアメリカ型社会がある。
 現在は、個人の豊かになりたいという欲望に忠実なアメリカ型の社会がテクノロジーの開発や進歩競争などにおいて常に先んじ、このアメリカ型競争でもって全世界を仕切ろうという勢いである。
 しかし、このアメリカ型の進歩競争型社会は負け組みと勝ち組の格差が開くことを是としているシステムである以上、個人の所得の格差が社会を不安定にするというリスクを常に抱えねばならない。  
 アメリカがテロリストの標的にされるのはこのリスクそのものためである。
 その結果、常に競争で勝つことはもちろん、常にどこよりも誰よりも強くならねばならないし、銃や軍備で自分で自分達の身を守る必要が常にあるし、たとえ物語の中であろうとも、自分たちの正義を守る絶対的なスーパーマンスパイダーマンなどが常にヒーローとして背後に控えていることを信じれなくてはならない。 

 今後日本の社会がどういう方向に向かうのかそれを決めるのはわれわれ国民である。 
 憲法の改正もそろそろ論議されるだろうし、憲法だけでなく年金問題ひとつを取り上げても、われわれが今後どのような社会に住みたいのかという大きな問題がその背後に隠されているのである。
 その選択は、乱暴に単純化すれば<自由をより重視するか、平等を重視するか>という問題に集約されるように思う。
 もちろん当たり前のことだが個人年金的な性格の現在の年金制度をこれからも維持していくか、相互扶助的な制度に切り替えるかを国民的な幅広い層の議論と選択を経て、すなわち将来的に日本の年金制度をどうするかを選ばねばならない時が来るだろう。 (終わり)