『タイムカプセル』

 昨夜マロ君の散歩をちょうど済ませた後から雨が降ってきて、朝方まで降っていた。 今朝は雨は上がったがすっきりした晴れた空ではなく、曇っているが東には立山連峰の稜線が見えているというおかしな空模様。 北の高気圧の圏内に入ったのだろう、肌寒く朝晩は長袖を出して着てきている気温である。
 今日も自宅の草刈り。 1メートル近く伸びた草を刈り倒して行くが、この時期の太くなった茎は硬いので簡単には刈れない。根元から刈ると時間が掛かるので、下から二十センチほどのところでなぎ倒していくことにした。 それに草の中に葛のツルが縦横に走っていて、それが草刈機に絡まって回転が止まり作業が何度も中断する。 それでも明日もう一日やれば何とか終了というところまでこぎつけた。
 以前作りすぎたマーボー豆腐を冷凍しておいた。
 今日それを解凍して食べたのだが、何と中の豆腐が凍みて高野豆腐になっていた。
 それがまた少し変わった味だが、これが複雑な味で意外と美味いのである。 高野豆腐というのは単に豆腐を凍らせた後乾燥させたもので、当然だが味はついていないので、煮含めたりして後から味付けするもので味は素直である。 凍み豆腐になったマーボー豆腐を食べながら、あらかじめ味付けした豆腐をその後凍らせて食べる料理があっても面白いなぁと思い、今度挑戦してみるか思ったりする。

 生田紗代作『タイムカプセル』を読む。 
 地方出身で大学に入って都会暮らしを始めた女子大生の淡々とした日々を書いている。
 ごく普通に大学の授業を受け、下宿でパスタを作り、時々高校時代の友人と携帯で連絡を取り、金がないので近くのスーパーで店員のアルバイトをする、それ以外何も起こらないし、起こりようがない日々を描いている。 現代のごく地味な女子大生の、それがひとつの物語であると言うように・・・
 時々一年上の従妹が就職活動のため部屋に居候する。 その従妹はすでに60の会社に面接を受けているがいまだに就職は決まらない。そこにすぐ未来の自分の姿を予想させている。
 まあ、なんというか現代の閉塞感を出したいのだろう。 それは何時の時代でも若者はどこにも自分の居場所を見出せないようなある種の閉塞感を持って生きているのであって、それは現代だけがそうなのではないだろう。 青春とはすばらしいものだというのは大人たちが後になって描く相も変らぬ真っ赤な嘘なのであるが、だからと言って閉塞感そのものが青春だという物語りも同じように嘘である。