力は正義なり、正義とは力なり

 今日も午前中から草刈をした。 三日間草刈をしたおかげで芝庭も含めて全部の草刈が終わった。
 近所の家々ではお盆前にはだいたい草刈は終わっていて、このお盆の最中に喧しいエンジン音を響かせて草刈をしているのは我が家だけであった。
 我が家の畑は現在六分の一しか使用していないのだが、その未使用の畑に今年は、どうしたことか一般に猫じゃらしとも呼ばれているエコノクサが一面に生えた。 このエコノクサを刈るには実に面倒なのである。 葉が密生するように生えるので、草が束になって草刈機に束で巻きついてしなってなかなか千切れないし、同時に地を這うようにして茎を四方に伸ばしているため、茎が低すぎてこれまた刈れないのである。 仕方無しに草刈機でくちゃくちゃに掻き回して一時的に枯れたようにして覆った。     
 多分しばらくしてもう一度刈らねばならないかもしれないが、こうしておけば下の草は蒸れて枯れるのではないかと思われるし、また新たな草が伸びてくることはないだろうとも思える。

 土曜日の日まじかに迫っていたオリンピックで湧いている新聞の一面に、読売巨人が明治大エースに対して現金200万円を渡していたことで、読売巨人の渡辺恒雄オーナーをはじめとする球団幹部がそろって球界から離れることになった、と報じられていた。
 これまで週刊誌などでたびたび報じられていたことだが、新人選手の獲得には巨額の、億単位の裏金が動くと何度もうわさされていた、それが何らかの理由で今回表に出てしまったのだ。 内部告発だろうか・・・

 このニュースに関しては毎日新聞が突っ込んだ論評をしている。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040814-00000005-mai-spo
 
 古い話だが、オフが何年生だったか覚えていないが、まだ小学生の頃、地元新聞に当時花形選手だった巨人軍の長嶋、王選手が来県して、ファンの感謝のためにサイン会をしているというニュースが意外と小さく載っていた。 当時たしかプロ野球はシーズン中で地元で巨人の試合もないのに、何故だろうと子供心に不思議に思ったものだった。 その訳は後で知ることになったが、その当時がちょうど衆議院議員選挙の最中で、地元の選挙区から読売新聞の社主で巨人軍のオーナーであった正力松太郎が立候補していたからだった。
 ともあれ憧れの長嶋、王選手(どちらかと言えば王選手に憧れていた)が選挙応援という表立った形を採らないで、側面からサイン会という曖昧な形で応援に来ているということに、子供心に何か割り切れないもの、いわば、大人の世界の嫌や〜なもの、を感じ取ったのを覚えている。 もちろん子供だったオフが、電車に乗って一時間弱ほどかかるそのサイン会場へ行った訳ではないし、その場で彼らが正力候補への投票を正式に呼びかけたかどうかは知らないことであるが・・・。

 読売新聞と巨人軍、その両方で正力松太郎の後を継いだのが渡辺恒雄ことナベサダであるが、この両者はよく似ている。  
 これまで巨人軍のオーナーであるナベツネは、巨人は「球界の盟主」である、と言いきり「プロ野球の繁栄は巨人が常に優勝争いすることで達成される」という考え方を公言して、そのためなりふり構わぬ戦力補強をしてきた、まさに裏表を問わずであるが・・・。 正確には知らないが、プロ野球ファンの半分ぐらいか、それ以上が巨人ファンであるのは事実であるし、その事実を前にナベツネの言っていることに表立って、それはおかしいじゃないかと面と向かって異議を申し立てていた人もあまりいなかったように思う。
 プロ野球全体のオーソリティである歴代のコミッショナーも、そのような発言に対して特に注意するなり、自粛を命じたりすることはなかった。 もっとも日本のプロ野球コミッショナーは名ばかりで、オーナー会の上に立って指導するような権威もなく、名誉職的な飾りものに過ぎなかったが・・・。
 プロ野球全体への視点がない手前勝手で独りよがりの、強くなければ何にもならないというナベツネ路線が、結局プロ野球そのものを魅力を失わせ、地盤沈下を招いてしまっていた。
 
 現実における勝てば官軍的な強者の論理というのは、いつでも、どこでも同じである。
 それは結局、力、すなわち強いものは正義であり、正義は力であるという現実論理である。
 至近な例としてアメリカの核の問題がある。
 アメリカは世界最大数の原子爆弾を持っているのに、そのことをまったく棚上げして、他国の核の問題を脅威だ、脅威だと騒いでいる。 それはパキスタン、インド、北朝鮮などの核についであるし、まだ所有していないだろうイランの核についても、それらがテロリストに渡ることの恐怖を騒ぎ立てている。 
 またイスラエルが相当数の核を所有しているのは公然の事実であるにもかかわらず、それについては知って知らぬ振りをして、終始だんまりを決め込んでいる。
 強者というのはいつも自分の悪行に対しては寛大で、自分だけが常に正しくて、ダブルスタンダードで世界を見ていて、自分勝手な視点でものごとを言い、手前勝手な理屈で騒ぎ立てているのである。
 まあ、強者であるがゆえに裸の王様になってしまい、つねに自分の理屈でしか物事が見えなくなっているのであるが・・・。