「誰も知らない」

 お昼頃を中心にして一時的にフェーン現象になり気温が35度まで上がった。 少し涼しい日が続いた後なのでこれまで以上にこたえる。 台風が明日から明後日にかけて日本海を北上する。 暑さはもう、うんざりである。

 今回神戸で滞在中一度だけ映画を見にいった。
 滞在始めに彼女の父親が急遽入院、ペースメーカを体内に入れる手術となったので、映画は諦めていたが、彼女の配慮で病院へのお見舞いの合間を縫って何とか行くことが出来た。 
 今回はこの映画「誰も知らない」はどうしても見たかった。 今年のカンヌ映画祭で今回の審査委員長をしていたタランティーノに、主演していた柳楽優弥の顔が最後まで忘れられなかったと言わしめ、史上最年少の14歳の主演男優賞が誕生する事になったというイワクつきの作品である。 しかし、この作品におけるほぼ素人同然の主人公の演技といえないような演技を引き出したのは、監督の是枝裕和の大きな力が寄与していると認めざるを得ないであろう。 おそらくタランティーノマイケル・ムーア監督の「華氏911」がなかったらこの作品へパルムドールを与えたかったのではないかと思う。

 是枝監督はこの作品で映画四作目である。 カルト事件の加害者の家族の問題を扱った第三作の「デスタンス」もなかなかよかった。 今のところまだ観る機会がない「幻の光」や「ワンダフルライフ」も是非見てみたい作品である。

 内容は1988年に実際に起きた事件をモチーフにして監督がイメージして映画化された作品。
 母親に置き去りにされた戸籍もない、もちろん就学もしていない4人の子供たちが、大人たちに知られることなく、兄妹たちだけで生きていく姿をドキュメンタリータッチで淡々と描いていく。
  演出は台本は渡さずに、その場ごとにシーン設定と台詞を伝えていく独自の手法をとり、それは彼がかってドキュメンタリー制作を通じて培った方法だった。 それは極力ありのままの姿に迫るためのやり方で 「台本を渡し練習してもらうと大仰な演技で嘘っぽくなってしまうことも。自然でリアリティーのある日常のような振る舞いが欲しかった」とその手法について監督自らが語っている。

 この手のテーマをあつかうこれまでの日本の作品は、概して山田洋二風の社会悪を告発、断罪するようなどこかクサイ映画になりがちだが、その一歩手前で踏みとどまって作品を現実に近づけようと、それぞれの見る人の心の中に考える隙間を与えるやわらかな映像に仕上げたところが、爽やかだった。

 この世で起きる忌まわしい事件や出来事のすべてが、あたかも描かれた物語のように、ワイドショウや週刊誌で語られるように単純で明瞭であったとしたら、われわれは生きていくことにそれほど苦労しなくても良いだろうになぁ、とたびたび思うことがある。
 これまでになかったような特異な、あるいは凶悪な犯罪が起こるたびに、警察やマスコミが犯人の犯行に到る動機を知りたがる。 物知り顔なコメンテーターや心理学者が出てきてもっともな話をする。  
 だが、あるひとりの人間が犯罪者となった原因など、誰が本当のところを知り得るだろう。
 検察が作成する調書などそれまでの過去から似たようなケースを引っ張り出し、適当な表現をつけ、それでとりあえず納得する落ちを付けているにすぎない。 本当のところを探っていけば、およそどんな人間もそのこころの内は、凶悪な犯罪者と少しも違いがないという、名状しがたく得体の知れない「謎」が横たわっているだけである。

 映画は人々に夢と希望を与えるという。
 どんなに複雑な謎や事件もすべてが明らかになり、悪辣な陰謀は阻止され、正直で誠実な人間は最後には救われ、嘘つきで不実で邪悪な人間は最後には罰されるという。 きちんとした始まりがあれば、かならず落とし前がついた結末もある、自分達が悪でなく正義であることを言わんために、敵や悪を作り出し、そこに悪と正義の線引きし、安心したい世界、絶対的な唯一神が存在することを希求する究極的な嘘の世界。

 しかし、物事はけっして単純でも明瞭でもないし、始まりも終わりもどこまでも明確ではない、それが私たちの生きる現実の世界の姿である。 そこで現実がそのような姿ならば・・・ただ、ただ現実により密着することで真実に近づくしかない・・・是枝の視点はどこまでもやさしく静かである。
 この映画のオフの評価点 85点。