『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

 昨夜のうち台風が日本海を北上していった。 夜半前風がしばらく吹きその内に雨が降り出して風は止んだ。 台風一過の快晴ではなく、時々雨が降る不安定な天気で、気温は25度程度でとても過ごしやすい。 午前中、山の家のある部落の一部の道路を舗装するというので人足として参加する。
 部落員総出といっても男が四人、女が二人だけである。 まあ家が五軒しかない部落のことで、これでもフルメンバーである。 町が5立米のセメントを提供してくれ、それに3立米ほど部落持ちで追加して、山の道ほんの5、60メートルほどの道路を舗装したのである。 おかげで腰が痛い。
 夕方、東京で弁護士をしている高校時代の友人が、墓参りに来たついでに立ち寄った。 奥さんと子供二人の四人で息子の運転する車で来た。 今はカーナビゲィターがあるので、住所さえ分っていればどんなところでも迷うことなく来れるという。 

 今回神戸へは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を持参して行き、長い作品を何とか読了した。 この作品は以前一度読んでいたはずだが、ほとんど忘れていた。 仕事人間だった頃に気まぐれで読んだ本のほとんどは、その内容を見事なくらい覚えていない。 ということは恥ずかしながらまったく理解も出来ていなかったということだが・・・この作品も85年の作品だから、まだ冷戦が続いていたし、社会主義国ソ連が存在していた。 日本アズナンバーワンなどと言われて日本中が浮かれていたバブル景気の真っ最中の頃だった。 ハードボイルド・ワンダーランドの話の、主人公のスタイリッシュで少し嫌味なシティボーイぶりに当時のその浮ついた現実が少し反映されているかな。 
 今にして読むと、時間が経っているせいもあるのか、なんだか高みから見下ろしているようによく解かるような気がする。 結局一人の人間の内部と外部をくっきりと区切って描かれている訳で、そのためにこの小説の構成とでも言うべき大仰な物語がベタベタと用意周到に用意されている訳だ。
 現実においてはスタイリッシュでノンポリシーに見える一人の自分、その自分は世界に対してまっあく無責任な生き方をしていると見えるのが、自分なりのルールでそれなりに誠実に生きている、生きるってそんなに大仰な物語を必要とするようなものではないじゃないか、少なくとも自分にはそうだ、小さな限定された自分の見える範囲の中で人をだまして得をしたり、嘘をついたり、裏切ったりしないで、それなりに誠実に生きている、そんな生き方がノンポリシーで少し軽薄と見られたとしても、それって大きな間違いじゃないはずだ。 そして最後にもう少しこの内部の世界に留まりたい、と思う、という作者の意図的な決意で持って終わっている。 それを批判する、しないは読者の勝手だろうが・・・しかし、もう少し待って欲しいという願いも込められて終わっていた訳に、今はここまでなんだよ提出できるのは、と言っている作者がそこにいたことが今にして解かるような気がするのである。