『月の桂』

 ≪たった二十年ばかりの間に、肉体関係が出来たら、女の精神は全く男に縛られてしまうなどという固定観念はぼろぼろにくだけてしまった。固定観念をぼろぼろに砕くために、世の中のあっちこっちで、教養ある女たちが、やれ仕事だ、やれ交際だと忙しい時間の流れの合間を盗むようにして、不毛な関係が存在しうることを立証したことを思えば、まことにあほらしくばかばかしい。教養ある女たちと書いたのは、まんざら、皮肉でもない。学校教育を通じて欧米の恋愛感情に触れた女ほど、この国に
深く根付いた色恋のはてに心中を選ぶ感性に憧れるという古い心情との交点で硬直した態度を示しやすい。義理を捨てて情につく日本の古典的な色恋の真情と、義と愛を並列させた欧米の恋愛観念のはざまで息苦しくもがきつつ、官能への憎悪が芽生えたのも無理からぬことだ≫
 
 あたかも小林秀雄の難解なエッセイを読んでいるような鬱陶しい気分になる。 中沢けいの『月の桂』という作品の中の一節である。 朝鮮について書かれた作品であるが、たしかに彼女の視点は同世代の紋切り型的な常識を共有して安住しようとする風潮の隙間を鋭く突いている。
 
 ≪朝鮮活版本について質問しようとして、いきなり「チョウセンとは何だ」と怒鳴られるという経験をした。相手は在日韓国人の学生だった。気軽に隣国に出かけようとする学生と民族の運命を意識した学生は、私には表裏一体で時代の風潮に付き過ぎているように思えた。時にはそれは自己嫌悪に陥るよりも、隣の同類を罵倒するほうが、楽だという態度となって現れる事すらあった。私が朝鮮半島に詳しい全共闘世代の人々を簡単に信用する気になれないのはそういう経験をしたためだ。彼らの視覚には優美な半島の精神はまったく欠落しているように見えた。青磁の壺などをいじるのは金持ちの時代遅れの道楽というわけだ。それが、私の時代の感受性だった≫

 しかし彼女は小林秀雄ほどの既存の安易なものの見方を排除して、徹底して自分の感性を押付けてくるような厳密さや堅苦しさはない。
 しかし、難解な文章というのは昔は大学の入試問題によく使われたが、最近ははやらないのかトント見なくなった。 情報がありすぎる時代に何回読んでも分らないような難解な文章をわざわざ読みたがる人もいないのだろうし、そんなものをありがたがっておれない時流の速さと出版物の多さがある。
 昔は買った難しい一冊の本をじっくり時間をかけて噛み砕くように読むことが尊ばれ、サッと読めるような文章は軽く見られていた。 そんな時代があっと言う間に後ろに流れ去った。
 それは悪いことでも良いことでもないが、どうせなら読みやすく理解しやすく、頭にスッと入ってくるような文章を読んで理解できることの方がありがたい。