足元を掘る

 午前中台風による雨や風が残っていたが、午後からは日が差し始めゆっくりだが天気は回復。
 久しぶりの雨で空気が洗われた感じがする。正面に見える北アルプスは涌くような白い雲に覆われている。
 数日前8月25日、まだオリンピックの報道が盛んになされている頃で、新聞の一面に女子レスリングが全階級でメダルなどと書いていたが、その日の天声人語に  
 http://www.asahi.com/paper/column20040825.html
 沖縄戦の前年、沖縄戦に備えて学童を本土に送っていた対馬丸が米潜水艦の攻撃で沈没した事件のことが書いてあった。 その際、学童が775人を含む1400人以上が犠牲になったとある。 奄美大島には多数の死体が流れ着き、ある村だけでその数が90体を数えた、とある。
 すぐさま日本軍と警察は緘口令をしき、その事件を知る人々に一切口外を許さなかったとある。
 もちろんこれはその事件をさらに多くの人々に知られることで、人々に動揺が広まること、日本近海で船が沈められるようでは、この戦争に日本が負けるのではないか、と人々が思い動揺することを恐れてのことだったと思われる。 この事件の緘口令を上から命令した人や、その命令を守ることを強要した人々、そしてその命令に従って口をつぐんだ人々、みな事実を知りながらそれぞれの立場で事件を隠蔽した。 その事件を知りながらそれぞれの立場でこの事件を闇から闇へ葬ろうとしたり、見て見ぬふりをした人々は、当時どのように思いをしながらその命令に従ったのだろうか。 やはりこの悲惨な事実は、お国が勝つまで戦うために隠し通すべき必要があると思ったか・・・良い悪いや事実はさておいて、上のいうことを守らせることが自分の使命と思ったか・・・上の言うことに逆らってみても、と思って仕方なく従ったか・・・彼らの心のうちはどのようなものであったろうか・・・
 以上の話は戦争中のことで、たしかに戦後民主主義の現在の日本社会のことではない。
 しかし、現在の日本の社会がこのようなこととまったく無縁かと問えば、全然そんなことはない。
 会社や組織や企業ぐるみで行われている犯罪となるような事件のすべてが、日本軍が行ったことと大なり小なり相似形である。 最近では車の欠陥隠し問題や、いろんな食品の産地の偽装問題、警察などの内部での裏金造りなどなどがある。 これまでバブルがはじけて以来特に多かったが、テレビなどで会社の幹部や組織の上部が頭を下げた事件のすべてがそうであったといってよい。 自分が何かよくないことに関わっているのは承知していても、組織や会社の自分達の利益を守るため進んで、あるいは仕方無しに、結果的に犯罪に手を染めてしまっている。 
 戦争中の緘口令の問題に戻ると、人々はまずは目の前の日本軍や警察の強権を恐れていたのだろうし、緘口令に従うことが、いずれ自分達をどこへ導くのか・・・と考えることすらなかったのだろうと考えられる。 たしかに自分が率先して大方の流れに逆らうことは大変な勇気がいる。 まして相手が権力があるものならなおさらである。 あるいは仕事やお金を与えられている側の立場ならはっきりと嫌とはなかなか言えないものである。 われわれが日々生きていく中で、大きな力に逆らって自分の小さな物語を守って生きていくのは意外と大変なことである。 しかし、じつは本当の意味で自分をしっかり見つめて生きていくことが、大きな流れに飲み込まれないで、時には結果的に大きな力になることがあるのだ。
 以前新聞に小学校6年生の社会科の通知表の評価に愛国心が取り上げられるようになった、とあった。 02年度からの新学習指導要領の「国を愛する心情」の育成が学習目標に加わったことの影響らしいが、この愛国心、この問題を思うと何時も複雑な思いに駆られる。 人には自分の生まれた地域や郷土を愛する気持ちがあるが、それを国を守るとか、愛する気持ちへと単純に繋げられると怪しいものがでてくる。  与党や政府が教育基本法見直し審議を始めているという。 おそらくこの愛国心に法的根拠を与えたいのが本心だろう。
 今の世のムードから言えば日の丸・君が代問題と同じで大方は無関心で、ずるずる行きそうな気がする。 国家を問題にするなら、国家は時には大きな間違いを犯すものであり、個人を見捨てたり、圧迫することもある、ということまでをキッチリ教えてほしいものである。
 われわれは自分が何をしようと、考えずに生きることは出来る。 しかし、自分のなした行為の意味を考えることでしかより良い生き方は選べない。 とりあえずは自分の足元をじっと見つめて、考えていくしかない、とそんなことを今日は真面目に考えた。