「珈琲時光」

 帰ってきた夜寒いと思っていたら、北アルプスで初冠雪だったそうだ。今朝も遠くに朝日に白く輝く立山連峰の峰々が見えた。 マロ君と連れ立って歩く山道には栗の実はすでに終り、大きく開いたアケビの皮が落ちている。 昨夜からは小型の石油ストーブに火を入れたし、炬燵も押入れから引っ張り出した。

 侯孝賢監督の『珈琲時光』を見る。
 台湾のこの監督はなかなかの実力者であるということはなんとなく知っていたが、作品を見るのが今回が初めてである。
 今年が「小津安二郎 生誕100周年記念」ということで、小津監督のオマージュとして捧げられた作品なのだそうだ。 カメラのアングルは小津と同じで、室内では畳に座った人の目線に据えられている。  
 当然ながら登場する人々も畳の上に座って登場するわけであるが、そのような生活が今の東京に残っているのかと少し心配したが、下町の狭い貸家の生活ならそれはそれで充分ありうる。
 何も起こらない平凡な日常、その中で起きる変化と思われるのは一青窈が演ずる主人公が妊娠した、と語られて時々彼女に悪阻のような症状が起きるだけである。 それなのに見ていると心の奥のほうから深い溜息をついてしまうような静かな感動に包まれた。 目の前の映像の中に現代のわれわれの状況が包括的に表現され、的確に封じ込められていることが感じ取れるからだったと思う。
 この映画の出来は主演していた一青窈の演技にすべてがかかっていたと思うが、初演ながら一青窈はごく自然に主人公の陽子役をこなしていて、今やこの手の映画に出ずっぱりの感がある浅野忠信に引けを取らないどころか、出来過ぎといっていいくらいの自然な演技だった。
 小津安二郎の映画なら父親役は笠智衆なのだが、この映画では小林稔侍もセリフの少ない父親役を味のある演技でこなしていた。
 オフのこの映画の評価90点。