葬式

近所のおばあちゃんが亡くなって昨日お通夜、今日は葬式、初七日に出た。
 同じ班なので式場の受付に立ち、香典などを受け取りお返しの品を手渡す作業などを受け持つ。  
 その後続く初七日も出席するように頼まれて出席。 つい最近まで(セレモニーホールが各町にバタバタと出来るまで)農家などではお通夜や葬儀は自宅の座敷で行われていた。 その場合近所の同じ班の人たちは丸二日から三日間仕事を休んでその家の葬儀に立ち会っていた。男たちは段取りや受付、香典の受け取り、ひいては香典開きまで付き合ったりしていたし、女の人は駆け付ける親戚の人たちのお茶やオカズ作り、ご飯の用意などでそれは、それは大変だった。
 今はお通夜や葬儀の始まる一時間ほど前に行って受付をするだけですむので大変ありがたい。
 たんに一時間ほど受付をしただけで初七日のお膳に呼ばれるのだが、これはありがたくない。 お礼の気持ちで呼ぶのだというのだが、呼ばれれば手ぶらでは行けない、御仏前として何がしかの金を包まねばならないし、さらに半日ダラダラと拘束されることになる。 最近は街中の家などでは初七日に出るのは班の代表だけというところも出てきたという。 この流れがもっと加速してほしいものだ。
 その初七日の宴席が終わったのが4時ごろ、そのころは台風23号による雨風がかなり強くなって来ていた。 山の家の玄関に繋いであるマロ君のことが心配で、自宅の戸締りを確認してすぐ山の家へ向かう。 軽トラでそろそろ走っていたのに途中で横風を受け、車体が軽く持ち上がって一瞬ヒヤリとする。
 
 アメリカの大統領選挙が近付いてきてチェイニー副大統領候補の娘さんのレズビアンの問題(本人がカミングアウトしているが)が話題となったりしている。
 9・11の同時テロの後、アメリカでは各界各層で自由を守れとの大合唱が起きたと思うが、本来自由とは少数者の選択肢の拡大のことであり、少数者の選択肢の拡大こそがその社会の自由度を測る目盛りとなるはすであると思う。 ことさら自由を守れ!と声高に叫びたいなら、同性愛の問題でもおのずからその方向性は決まってくと思うのだが・・・。