金沢の二つの美術館

 昨日のマロ君の散歩の時に峠より先へ足を伸ばさないで気が付かなかったが、峠を越えた北東斜面での杉の木が大きな被害にあっていた。 地盤がゆるい谷筋の杉の木は根っ子ごと何本も倒れているし、風当たりの強いところは途中から裂けるように折れている。 荒れた杉林だけでなく、下枝を下ろし、間伐してある杉林でも何本も倒れたり折れたりしているのは見るに忍びない。
 さらに自宅へ向かう平野部の道すがら当地方では<かいにょう>と呼ぶ屋敷の周りの杉の木などもあちらこちらの家で何本も倒れたり傾いたりしていた。 なお台風が接近していた当日軽トラックのハンドルが取られてオフも怖い思いをした道路の両脇は、ハナミズキの並木になっているのだが、その両側の並木が見事に全部西向いて同じ角度で傾いていた。 これは走りながら微笑ましく、少し歪んだでしまった日常を見るようで、なんだか愉快な気分になった。

 石川県立美術館で開催している香月泰男展が残り三日間と知り、急遽金沢へ出かける。 今は生活の拠点を山の家においているので、金沢は車で1時間半以上もかかる。 今日は久しぶりなので以前、時々買出しに寄っていた近江町市場に立ち寄って生きの良い魚を買って来るかと自分で勢い付けた。 外食嫌いなので卵サンドつくり、珈琲をポットに詰めて出かける。
 予想に反して香月のシベリアシリーズに思ったほど反応出来なかった。 この過酷なシベリアでのラァーゲリィ体験の一連のシリーズをどうしても見ておきたくて、わざわざ出かけて行ったのだが・・・本当にどうしたのだろう・・・ここのところ古山高麗雄の戦争短編小説集というのを読んでいて、先の戦争のことを何かと考えている最中だというのに・・・それよりも椅子の上に載せられた戦後の静物作品何点かに目が止まった。 徴兵に獲られる前にも少し似たような作品はあるが、戦後のそれらは少しづつ色調が明るくなっていき、それらの静かなたたずまいの数点に強く目が引き付けられた。

 兼六園の坂を下りたところにある金沢市立21世紀美術館へも足を伸ばす。 この美術館はまだオープンして間もない。 中学生や小学生が遠足に来ていたり、およそ場違いな感じのするオジサン、オバサンもぞろぞろ来館していて平日の地方美術館としてはまあまあ混雑していた。
 何だかねぇ、ふ〜ん、これが芸術というもんかね、などと大きな声でしゃべりあっているのには苦笑してしまう。 まあ無理だと思うが、あのような人たちにもう一度見にいきたいと思わせれれば、この新しい美術館は大成功なんだろうが・・・ 
 単なる絵画や彫刻、写真などではなくて、なんというか立体的なオブジェやビデオ映像やじかに作品内部へ入ったりして体験できるモダンな作品が集められていて、どちらかといえば万博のテーマパークを思わせるような展示物が多い。 それぞれの意図するところは汲み取れるのだが・・・アイデアとかヒラメキとか意外性の組み合わせなどが先行していりるようで、そこからおのずから物語が滲み出てくるような、あるいはこころの内部の切り込んで訴えかけるような迫力には欠ける、でも見ていて、感じていて、楽しいことは楽しいから、それはそれでよいのか。