『海の仙人』 糸山秋子

 秋晴れの良い天気が戻ってきた。 雪をかぶった北アルプスの山々が終日臨めた。
 気持ちがよいので、マロ君を連れていつもより遠くまで足を伸ばして散歩した。 谷を下り、向かいの山の上まで歩き、そこから山の家を見っけてなんとなく満足して帰ってきた。
 しかし前の台風で杉の木が思ったよりたくさん倒れたり、傾いたりしている。 とくに下枝を落としてどちらかといえば手入れがされていて、頭が重くなっている杉の木の被害が大きい。 傾いている木も今の内はよいが、雪が来ると倒れてしまうだろうなぁ。

 糸山秋子著『海の仙人』を読む。
 たまたま昨日の朝日新聞に<文芸の風>という特集で作家糸山秋子の紹介記事が載っていた。
 新聞の記事を書いた女性記者は、純文学系の作家の職歴は女性なら主婦が目立つが、糸山のような職域(住宅機器メーカー勤務を10数年間していた)の広がりによって純文学に新たな感性を持ち込んだとあるが・・・この作品を読む限り、どこに職域の広がりからくる新しい感性があるんだといいたくなる、ために書いた記事である。
 ところがこの記事を読んだことで、こちとらはいろいろ解かりたくないことも解かってしまった。  
 作中に出てくる運命の人というのが住宅メーカー勤務でこだわりの車を運転するメガネ女というのは、なんだなんだ新聞に写真入で出ていたまん丸顔をした作者本人(作中ではまん丸顔とは書いてなかったが)の事ではないか・・・乳癌に侵されて恋人に看取られホスピスで死んでいく・・・このくさいヒロイズムは何だ! そのヒロイズム女の恋人は、宝くじで三億円が当ったラッキーボーイで・・・おい!日本海の海の近くの家のわざわざこだわりで浜辺の砂を取って来て居間にそれを引いて住んでいて・・・おいおい!主に魚を釣って暮らしている男で、その男が若い海の仙人とばれているのだが、じつは彼には小さい頃の誰にも秘密のトラウマがあってそれ以来セックスレスで・・・おいおいおい!・・・どこまでも孤独を背負って生きていくといわれては・・・おいおいおいおい!もう良い加減にしてくれよなぁ、と言いたくなるいうもんだ。
 おまけに、こんな細かい野暮なことまでは言うつもりはなかったが、ファンタジーと呼ばれている中年のおっさん天使のようなものが出てくる。 これは誰の目にも見えるのではなくて、まあ、文学的なセンスを持ったような人にだけその姿が見えるという設定だが、そんなおっさん天使は食堂でカレーは食うし、酒場では皆と一緒にお猪口で酒を飲み料理を食べてしゃべりまくるというのは如何なってんだ、その場には酒場の親父を初めその姿が見えないお客達がいろいろいるのにだよ・・・せめて天使は飲まない、食べなぐらいにしておくリアリティの配慮が欲しいよ・・・