『潮呼びの群火』 梅原綾子著

 今日から11月。 生暖かい曇り空で、山の家で読書、ビデオを見るだけの一日だった。
 当地では、屁臭そ虫とか、屁臭ン坊とか呼ばれて嫌われているカメムシが冬越しのため家の中に入ってきている。 この虫に触ると人の屁の臭いとは違うが、何ともいえない臭気があたりの立ち込める。 夏の間はクサギと呼ばれ折ると独特の匂いがする木の汁を吸って生きている。
 夜明かりをつけて寝転がって本を読んでいるとこの虫が飛んできて、あたりに止まり、そろそろと歩き出すとどうも落ち着かない。

 梅原綾子著 『潮呼びの群火』を読む。
 作者は愛媛県在住の60代の作家で、紹介文によると<血縁や夫婦の情愛をテーマに格調高い文章で故郷の四国を舞台にした小説を書き続けている>とある。 愛媛出身の作家といえばすぐに大江健三郎が思い出されるが、両人は同じ世代で年令もそう違わないようだ。
 この小説を読んでいて、出てきた言葉があるが、それは<矜持>という語である。
 最近はあまり使われていないようだが、似たような意味合いで若い人からポリシーという語を使うのをたまに聞くが、ポリシーの場合は本来なら政治的な意味合いが強いような気がするのだが、今の日本ではどうやらもっと広い意味で個人が持つ自信とか、誇りという意味合で使われているようだ。  
 だったらそれは矜持と同じような意味で使われているものと思える。
 本の帯に<戦争を超え父から息子へ、母から娘へと織りなす家族二世代の物語>とあったが、まさにその通りで、なんというか今時の小説には珍しく、一昔前のまさに純文学というにふさわしいような大仰な感覚で持って物語が構成され、描かれている。 この小説では間違っても今風なポリシーという語で語るには場違いで、まさに矜持という語でしか表現されない世界に生きた人々が描かれている。
 オフたちの親の世代の話になるが、先の戦争では多くの戦死した男達がいて、その中には戦地へ赴任する前ににわかに結婚した夫婦も多く、当然ながら残されて後家になった若妻達も多かった。
 そうした未亡人になった若妻たちは、子どもをある、なしに関わらず、あるいは個人的なそれぞれの理由を抱えながら、食うや食わずの中で生きていくために再婚を選ばざるを得なかった事情があったのだ。 その中で嫁いだ家の事情などで跡取りとして子どもを置いて再婚した人、子連れで再婚した人、実家の親に託して再婚した人、子どもを養子に出して再婚した人などと、いろんなケースがあり、それらは自分の望む形での選択とはかけ離れていた場合が多かったことだろう。 そんな母親を親に持つ子どもたちの親に対する複雑な思い・・・そんな風に生きた親の世代と、それぞれの子どもたちもいつか親になりが、それぞれが、女として、妻として、親として、お互いにどのような<矜持>をに持って生きたか・・・ 矜持をもって生きるということはある意味ではそれは偏狭なこだわりに縛られていることであるかもしれない。 矜持が一方ではその人がその人である筋が通った核、精神みたいなものをつくるとも言える。 他人に迷惑が掛からない範囲で享楽を追及すること、自己の欲望に添って生きることを全面的に肯定した現在のわれわれには懐かしいが、遠い異世界のことである。 が、つい最近までそのような生き方が身の回りに生きていた。 
 
  ≫いい歳をして母親に自分の感情を見せるのも、こちらの蟠(わだかま)りを知られるのも寒々しい。 老いていく親への労わりもある。 だから、会えばなるべく双方の気分が逆立たないようにする。 織井という伴侶を得て、かつての母親への反発が薄らぎ、余裕ができたせいもある。 が、母親に言いたいことをまず脇に置いている気持でもあった。 こうして続けていけば、一生言わないで済む。藤代が再婚せず、江間の家で生涯を送ってほしかった、とは思わない。 けれども、それとは別に、いないとわかっている母親を家のあちこちに追い求めた時や、二度とこの家にかえって来ないと認めた時の凍えた気持ちは塊のまま残っている。 藤代に本心をぶつけないことが自分の報復なのかも知れなかった。 一生、言葉では責めないだろう。 母親に捨てられた哀しみは口に出して言いきれるものではなかった。 それを、子供の時に別れても肉親は肉親、繋がりは切れない、とでも言いたげな藤代の自信がいつも鬱陶しかった≪