『パラレル』 長嶋有

長嶋有の『パラレル』を読む。
 長嶋有は好きな作家である。 たぶんこの人の作品は地味だが女性の人に根強い人気があるのではないかと思われる。『パラレル』は作者の初めての長編という触れ込みだが、この程度のものは長編というより中篇だろう。短いパートに別れて時間を過去と現在を入り乱れて書かれている。そんな訳で長い話を順を追って読んでいるという感覚はなく、彼のこれまでの作品と同様、短い作品を次々に読んでいくという感覚で読める。彼の作品はこれまでもぜんぜん別の話でも、どこかで少しずつ続いているという展開をしてきた。先に読んだ『ジャージィの二人』でなんとなく上手く行かない父と子の子の方の妻が男と時々逢っていることに触れられていたが、今回の主人公夫婦はすでに離婚してしまっている。もちろん目に見える原因は妻に男ができたことだが、どこの離婚夫婦でも同様だろうが、当人同士でもよく分らないようなこんがらがった糸のようなさまざまな経緯がその背後にあるはずである。
 ここには主として二人の男が出て来る。僕というTVゲーム製作者というか正確には元製作者であるが。もう一人は内容はよく分らないがウエブサイトの会社を立ち上げ経営するその友人の津田という男。その二人の関係の中で、異質な友人の生き方との比較の中で、僕という地味で曖昧な存在が少しは相対的に浮かび上がる形をとっているが、やはりそれでもよく分らないのだが・・・。
 別れた妻からは毎日のように携帯でメールが入り、僕も時々は元妻と携帯で、今彼との関係のことや、たわいのない日常的な話題を話し合う。  もちろん二人には未練があるわけでもなく、再度もとのサヤに納まるつもりなどはお互いにつゆほど考えていない。 このようなハッキリしない男女の繋がり方は、きわめて現代的な繋がり方のひとつであるだろう。 話は飛ぶが、法的にも男の役割、女の役割のケジメをつけたい強面の面々には歯がゆい話だろうが、このような話に少しも違和感が感じないような負の意味での男女共同の状況がすでに身の回りにも来ているのだが・・・

 妻にも一抹のうしろめたさがあるだろう、またそれ以上にこのダメ男から次の男に軽く飛び込んでいけない。 つまり自分の次の取るべき行動が見えて来ていないし、それは僕も同じで、両者が離婚という関係の破綻の後の曖昧な、まさにモラトリアム状態に囚われているのだろう。 そんな両者の心の不安が、とりあえず携帯を通してのメッセージで細々と繋がっていると言える。 これもある意味ではきわめて現代的な関係のあり方だろうと思う。 最期に唐突に一つのメッセージが示されるが、これが少し笑えるのだが、夫婦円満の秘訣は信じることです、とあって、その後に、屁理屈も理屈、邪道も道、腐れ縁も縁、と続く、さてさて、次の作品を一日も早く読みたいものである。