法要

 14日の日に法事をとりおこなった。 たまたま今年は親父の一周忌、女房の7回忌、祖母の13回忌と重なったし、それぞれが十一月の半ばから十二月の初めにかけて亡くなっていたので、まとめて子どもや親戚に集まってもらい、坊主を呼んでお経を上げてもらった。
 親戚は少ない家なので集まったのは十人ほどである。 三人の子供達は首都圏にいるので、来るのに大変だったろうが、このような機会でもなければ全員が顔を揃えることはなくなってしまった。 長男が直前に仕事にトラブルが出て、到着が前日の夜中と遅くなり、また宴席が終わり次第帰って、話らしい話ができなかったのが少し残念だった。
 お経を聞きながら、すでに今は無い三人三様のそれぞれの人生のことをボンヤリ思った。 三人は身内でありながら、というより身内であるあるからこそ時としてはいがみ合ったことも多々あった。 今でもそのことを思うと、重苦しく思わず溜息が出てくる。 とくに祖母は、なんというかまわりに対する配慮がない我が侭な人だったから、いろいろ軋轢を引き起こした人だった。
 わが国には死ねば仏という考えがあって、諸々の恨みやしがらみも亡くなった時点で水に流すという考えがある。 それはある意味では良き事でもあるが、それはあくまで顔が見える身近な人同士の間で言える事であって、相手構わず広げることは出来ないだろう。

 当地方では、法事などの場合仏前に赤い蝋燭を立てる慣わしがある。 そのため叔父さんが前日、赤い蝋燭を用意してあるかとわざわざ電話をしてきた。 その時はあると思っていたので大丈夫あるよと答えたが、後で仏前に行って捜してみたがなかった。 特殊なものなので、雑貨を置いているスーパーなどに電話したが無くて少し困ったが、以前捜したが無かったホームーセンターに幸い置いてあるという返事で夕食後買いに行く。
 ところが当日来た若いお坊さんは、蜀台に立っていた白い蝋燭をそのまま使った。 一応すぐ後ろにいたオフが赤い蝋燭を用意してありますよ、と声をかけたが、このままで良いです、と返事して白い蝋燭に火をつけてそのままお経を上げた。 オフにとってはどうでも良いことだったが、叔父さんは納まりがつかなかった。 後の宴席で、あの若い坊主は何にも知らない、とあれこれと文句を言っっていた。 しかし、このままで良いですよ、といって時点で坊主がわざわざそう答えたのはどうしてなのか?と一応考えなかったのだろうか・・・まあ、考えなかったのだろうなぁ。 叔父さんは万事が、物事は前からそうしているからそうする、以前もそうしたからそうするものである、と考える人である。 まあ、叔父さんに限らず何かにつけてそのような人は多いのであるが・・・
 以前、妻の葬式の時に、葬式は質素にしたい。 ゆえに香典は受け取らない、祭壇も要らない、御棺の上に白い布、花は一輪でよい、とオフが言い出した時。 この叔父さんとあわや殴りあいになりそうになったことが、今では懐かしく思い出される。