『蹴りたい背中』 綿谷りさ

 予報では今日は曇りになっていて、先日来切り散らかした生垣の枝を掻き集めるか、と思っていたが、あいにくの雨で中止。 図書館へ行って数冊の本を借りてくる。
 ビデオで「ビフォア・ザ・レイン」を見る。 この作品は三つの話で成り立つていて、それぞれに結末が悲しい愛の話が描かれて、最後にはその三つの話がメビウスの輪のように繋がる。 それが人間の愚かさで繋がるのである。 以前NHKのBS放送で見たことがあるが、名作は何度見ても新しい。 

 どうやら明日も予報では雨、雨の降る日はもっぱら読書とビデオ、幸せな生活である。
 『蹴りたい背中』 綿谷りさ著を読む。
 図書館ではいつも貸し出し中で、昨年の秋の芥川賞受賞から一年越しでようやく読むことができた。
 前日に読んだのが、『クチュクチュバーン』という強烈な内容の作品で、その印象が尾を引いていたせいか、当作品を期待して読了したが、なんとなく印象が薄く物足りなかった。
 しかし、面白いという印象はなかったが、じつによく書けているなぁと思った。
 出だしが良い。
 ≫さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を絞めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。・・・・・・気怠く。ってこういうスタンス。≪
 最後もまた良い。
 ≫その段の上に置かれている私の足を、少し見た。親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を、見ている。気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。≪ 
 読んでいない人には分らないかもしれないが、この最後の<はく息が震えた>のこのフレーズが、この作品のすべてを語っているように思える。
 好きだけど嫌い、自分をめちゃ分ってもらいたいが、絶対に誰にも分ってほしくもない。
 押しながら同時に引くような過剰な自意識と自己嫌悪、プライドと不安、こころとからだがアンバランスで、ヤジロベイのようにかろうじて一点でバランスがとれているが、ちょっとした動揺で全部がバラバラになってしまうような危なっかしい青春の微妙な心理がここでは見事に捉えられている。
 また相手の男の、にな川という名前のどこかハッキリしないカタマッテシマッタ男の子も、上手く捉えられている。 この時期ほんのしばらく男も女もこんな風に自分の中に閉じこもるようにカタマッテシマウ時期があるのだが、そんなオタクを見事ににな川という男の子に最後の最後まで演じきらせている。
 そうか、そうか、そんな時、おもい切って相手の背中を蹴りを入れたのだ・・・なんだかウフフ・・・と笑いが洩れてくるような気分になる作品である。