「父、帰る」

 ロシア映画父、帰る」を見る。 ベネチア映画祭で初監督でいきなりグランプリ金獅子賞を取った作品。 以前タイトルは忘れてしまったが、軍服を纏って女をだまして歩く偽軍人の男が主人公のロシア映画を見たが、なかなかよく出来ていた。 もともとロシアはバレエや演劇が盛んな国で文学、音楽を含めて芸術分野では世界をリードしている国であった。 映画の分野ではタルコフスキーなどが知られているが、その後続が続いていなかったと思う。 社会主義の崩壊の後遺症が治まれば、芸術分野において新しい才能がどんどん輩出してきても不思議ではない。
 映画分野においてはハリウッドに充分対抗できる力を持つ国は他でもないロシアでないかと密かに思っている。 とにかく俳優の演技力に素晴らしいものがある、ということはそれを引き出す監督の演出力のベースが優れているということだろう。
 テーマは父と子の関係である。 子といってもこの場合男の子と父親の関係であるが・・・この一筋縄ではいかない問題を正面から正攻法で扱っている。 ここ数年間でこの問題を扱っていた作品では、トム・ハンクスが父親を演じていたハリウッド映画「ロード・トゥ・パーデション」が印象深く思い起こされる。 あの映画でも取り上げていたのは、父と子の問題で、男親にとって息子というのは簡単に言ってしまえば自分の未来なのである。 そしてまた子をなすということは、それは守ることであり言ってみれば現実とどこかで折り合いをつけて生きている、ということでもある。以前にロード・トゥ・パーデションを評してオフは以下のように書いている。
 『男が女と結ばれ、家庭を作り、子をなし、彼らに飯を食わすと言う事はいわば自分を殺し、時には意に反しながら綺麗ごとで済まされないことにも手を染めることでもある。 つまり生きていくとは極端な言い方をすれば悪に身を染める事ともいえる。 しかし、その事をもって言い訳する事は出来ない事を十分知りながらである。 それがある意味では言いたくても言い得ない部分と言うことなるが、悲しい事にそこに男の生き様の本音の部分があるのだ。  いわば男親は言い訳しないで息子に、ただその事実だけを無言で伝えたいのだと言える・・・』
 さてこの「父、帰る」であるが、息子は兄と弟の二人登場する。当然のことながら二人の性格は違う。
 比較すれば素直な兄と意固地な弟、どちらかと言えば弟の方が父親似と言えそうだ。父親は12年間子どもを母親に預けて留守をしていて帰ってきたが、すぐにどこかへ出掛けるという。子供達は父親と共にキャンプや魚釣りをする夢を抱く。 その夢は行き違う、父親が出掛けるのは<或る事>が目的なのである。その<或る事>は最後成就されそうな所まで行く・・・がである。
 父が子に伝えることとはなんなのだろう?・・・結局それは分らない仕舞いに終わり・・・子どもは父の無言の生き様だけが垣間見ることになる。 ここでもやはり父親は何かに手を染めてていたことが暗示される。 そうであるなら、見るものには彼の12年間の不在もおおよそなんだったのか見当はついてくるが、それは画面では結局明らかにはならない・・・。
 「ロード・トゥ・パーデション」では父親亡き後、息子が画面の向こうをむきながら、ある決定的なセリフを言うのだが、この映画では息子たちは・・・

 戦後民主主義を生きてきたオフが、息子たちに伝えることとは何なのだろう・・・そんなことを映画館の暗闇の中で何度も何度も考えさせられた。 たぶんこの日記を二人は読んでいると思うが、下の息子はこの映画をすでに見て良かったと言っていた。 上の息子もいずれこの映画を見て欲しいと思う。 
オフの評価点 60点。