『金毘羅』 笙野頼子著

 笙野頼子著の『金毘羅』を読む。  
 なんと評すればよいのか?とにかく♪しゅら〜しゅしゅしゅ〜としか書きようのない内容なのだが・・・
 作者笙野頼子は人間ではなく一種のマイナー系の神様である<金毘羅>であり、生まれてすぐ死んだ女の子どもの死体に宿りその女の子は甦り、その中で育ったが、そのことに四十七を過ぎた最近ようやく明らかになった、その私的経緯を笙野自身が例によってネチネチ語る奇想天外な小説というところである。 とにかく面白かった。 まあ文学において今年の大きな事件のような作品であると思うが、例年この時期にまとめられる朝日新聞の今年の文学回顧の中では、斉藤美奈子だけが今年のベスト三冊に挙げているだけであった。 もっとも初版の発行が10月と遅いこともあるが・・・面白いと言っても文学周辺ディレッタント斉藤美奈子やオタクのオフが狂喜乱舞して喜ぶようなタイプの作品ではあるのだが・・・。
 少し前に読んだ津島祐子の『ナラ・レポート』が、幼少の子どもを残して死んだ母親とその息子とのこの大和において時代を縦横に駆け巡る物語であり、その息子は奈良の鹿を殺戮し耳を切り取り、母は大仏を破壊する原罪を持つものとして設定されていたが、ピアスをして茶髪にして津島はどう飾っても由緒ある正統派だし、まぁ、その点笙野さんは紛れもなく、自他認める・・・で、この作品では彼女自身があろうことか金毘羅なる訳の分らない神様として登場してくるのである。 これがワクワク、ザワザワしないで読めようか・・・と言ったところである。
 そもそも金毘羅とは・・・一応インドから来た鰐の神様で、今は大物主という、蛇系の神と一体化している神様、鰐と蛇はいわば親戚筋でそうなったのだっけ?分らない? 
 笙野流の妄想で言えば、もともとは正体不明の深海生物だったのがある時いきなり金毘羅を名乗った。 実体のないもの、ウイルスのようなもの、人にも宿るものだが、神的には地元の神をのっとってはびこるもので、勝手に全国区になってしまうもの、しかし権力、政権を担当せぬ、増えても増えてもそれはぐさぐさで、ばらばらで、 ある時から地上の滅んだ神に執り付いてそれを再生させることを急に始めた、それがいわば野や里や岬のすべての小さい金毘羅神社の正体なのである。 またそれは反逆の神、捲土重来の神、明治以前は仏とくっつきあっていわゆる神仏習合していたが、不定形なウイルス的な姿でいつも国家に対抗する個人の極私的なカウンター神となり、土俗すれすれのところで神が救わない人々を救い守る、いわば国家的ルール主体のお偉い宗教がうち捨てていくもの、個人の守りを汚くない形でちゃんと保持しているハイブリッド種の無国籍神なのである。 ひとりひとり無宗教なはずの人間がある日突然、ああ神様、といつたらそれはもうそこに金毘羅が出現するのである。

 そのような金毘羅的信仰から見下ろせば、見える!見える!
 ≫戦前は国家的迷信に洗脳された愚民の手で信仰は隠され、全部ヤマト系の神々の下に一本化、系列化されていた。 それが戦後は国家的迷信を隠蔽するために国家的神話を表舞台に出すことはタブーとし<こころの問題>を<ないこと>にした。 戦後インテリから<ないこと>にされ野放しにされた<こころの問題>つまり信仰は迷信化し、お金と数字を伴うけったいな理論に挟まれた偽科学に化けた。そして戦前一種類だった愚民は、二種類にわかれた。ひとつは国家的迷信に洗脳された愚民、もうひとつは国家的迷信を信じ抜いている普通の愚民を冷笑し、しかしなぜ信じているかということを解析する能力はなく、ただ自分たちだけは違うとひたすら思い込んで、そして偽数学偽科学の世界に逃げ込んでいる腑抜け的愚民だった。そういう人たちが宗教にはまると高級な宗教思想だけを問題にして祈らないのである。だってもし祈れば、それは神の前の凡庸で普遍的な自分、つまりは私小説の<私>の肯定になるから。ひとつの愚民はただ最初から頭悪いだけで罪はないのである。しかしもうひとつの愚民は打算した上で特有の頭悪さの中に立てこもっている。迷信を権力を拒否できないものが科学のふりをしている。そんなのでは金毘羅界の地獄に落ちるのである。けーっ≪

 また、一方で金毘羅である私は不貞腐れる
 ≫彼女(母)は献身的にやっていました。しかし私が失敗せず、朝飯を食べないで出掛けようとすると、いきなり激怒です。 「お前ひとりでした事なんかっ、この世にない」と意味不明のことを言うのだった。でも意味不明の言葉こそこ家族の言葉なのだ。殴られて意識が従うのかその時点での私はただぼーっとしています。しかし後から恨み抜く。一年も経てば憎しみで家の梁が折れるほどに家に憎しみが積っていて、私はそのことばかりを考えているのだ。そして、母は泣いている≪
 いずれにしろ、笙野頼子の金毘羅の発見は今日的な文学的事件であるとさえ思えるのである。