『妻の部屋』 古山高麗雄著

 古山高麗雄著の『妻の部屋』を読む。 これは表題作も含めて遺作十二編でなっている。
 古山の作品は、と言っても彼の短編は日常生活や、日々思っていることなどを綴ったいわゆる私小説である。 戦争に徴収される前の一時期の交友関係を扱ったのもや、先に逝った妻のことについて書いたもの、戦前暮らしていた北朝鮮ビルマの戦地であるフーコンへの旅行記などである。
 その中に「遺書」という短編があり、彼の妻明子さんが書き残した日記を死後一年経って彼はようやく読むのだ。 その中に遺書と書かれた原稿にして15枚ほどの綴りがあった。

 それには長い間お世話になりました、ありがとうございました。
 と始まり、あなたと結婚して35年幸せだった・・・とくに経済的に豊かになった結婚生活の後半は、若い頃から望んでいた働かない自由な一人暮らしができたし(作家デビュー以来古山は創作のため都内のワンルームで過ごすことが多かった)、前半で我慢していたおしゃれや洋服のオーダー美容院通い、ハンドバック、靴、指輪、香水などを買い、旅行、観劇、稽古ごとなどが気ままに出来て楽しかった・・・
 とあるが、これだけだとまことに馬鹿馬鹿しい話だが、その遺書も後半になると、
 あなたとの三十五年間、よくも辛抱したものだ・・・と続く・・・
 自由と言えば聞こえはいいが、悪く言えばあなたはすべてにおいてほったらかしで、医者の息子の傲慢さだけを持ち、礼儀作法などまるでない上に、態度だけは大きい私の大嫌いなタイプの人間だった。 安月給な上に傲慢だから、上役に頭を下げることが出来ず、地球は自分中心に回っていると思っているような人で、会社も四つか五つも勝手に変えるし、失業中なのに競馬をやっても平気、そんな人を理解できなかった、何を考えているのかわからなかった、私はあなたが嫌で嫌で、子どもさえいなければ逃げ出したかった、などなどと辛らつに続く。
 
 たしかに古山は作家として後半一人暮らしをするようになってからは妻とは年に20日間ほどしか顔を合わせないですごし、性格が不一致である上に、それまでも貧乏もさせたし、たびたび辛い思いをさせた、また妻に対しては狡猾であったり、だましたり、卑怯であったりしたなどとたびたびと書いているから、このような妻からの罵詈のくだりを読んでも読者としてはとくに驚くことはない。
 どころか・・・そうでありながら・・・私小説とはどこか憎めない作者の人間像が浮かび上がる絶妙な仕組みになっているのである。 まあ、それにつけても日本の伝統的な私小説、物書きの語る私的な物語とは、それが自分の罪状の告白であろうとも、どうしょうもない自堕落、自暴自棄なデカダン、あくことない放蕩などなど、ダメだろう、ダメだろうと言いながらどこまでもズルイ自分、笑いものの自分を貫き、最後はどこかで許されたり、納得させられたりする逆転の仕組みになっているのである。
 結局書くということはこのオフの日記にも同様であるが、所詮自分で自分を自己弁護しているような行為でしかないのであろうと思うのである。