「ヴァンダの部屋」 ペドロ・コスタ監督

 とうとう雪が降ってきた。 朝起きると十センチほど積っていた。 まだ地面が熱を持っているので、日中には半分ほどに減ったが山の家のまわりは一面真っ白の雪景色である。 
 小雪ののちらつく中マロ君を連れて散歩に出かける。 ついこの前まで道の両側に一面繁っていた草々は冬枯れて、山の斜面遠くまでずっと見通せる。 山の斜面にはこれまで目立たなかったアオキやサカキなどの雪の中常緑低木が目に付く、そのアオキには今の時期赤い実がなっているのがひときわ目立つ。 すぐ下の家のアヤメ婆は平地に住む孫さん達の住宅へ行った。 冬の間三ヶ月間ほどそちらで過ごすことになる。 オフもこの先雪が深くなるとマロ君の散歩すらままならぬようになるので、状況を見て自宅へ戻らねばと思っている。 そうなると山で冬を過ごすのはツグミ婆、ウグイス爺などの家三軒だけになってしまう。
 先日神戸の新開地にあるアートヴィレッジという映画館で「ヴァンダの部屋」というポルトガル映画を見た。  さして広くないホールにパイプ椅子が並べられていて申し訳に椅子の上に小さな座布団が乗っけてあった。 パイプ椅子を片付ければ多目的に利用できるのためのホールなのだろう。 平日のい夕方だったがオフたちのほかに三名の観客がいた。 ペドロ・コスタ監督というのはどういう人かよく分らないが、二年間かけてヴァンダという人の部屋でこの映画を撮ったという。 そこは首都リスボンの取り壊しが進んでいるスラム街にある一室で、ベッド一つ置くともうそれだけでいっぱいの狭い部屋。 その部屋で痩せてガリガリで男か女かわからないヴァンダは始終アルミホイルを下からライターで炙りながらドラッグをやっている。 暗い部屋の中、ヴァンダの異様に強い眼差しにドキリとさせられる。  そんな場面がえんえんと続き、時々ヴァンダは病的に痛々しいほど咳き込んだり、吐いたりする。  彼女の母親は近くに住み野菜屋であり、ヴァンダはお金を得るためにキャベツやレタスを取り壊しが進んでいるスラム街を売り歩いている。
 三時間超える映画だが一時間を過ぎたあたりで、これがまだあと二時間も続くのかと思ったときは正直うんざりした。 その後も画面の中では何のドラマが起こるわけでもないのだが、あとの二時間はいつの間にか過ぎ、気がつくと映画は終わっていた。
 映画館を出た後も、あの映画は何だったのだろうと何度も考えさせられる。 安っぽい物語化を拒否したところで、人間が生きていくというのはどういうことなのだろう、と深く問いかけている気がする。 
 それにしてもシンプルに生きるヴァンダの存在感そのものが強く感じれたことが不思議と言えば不思議であった。

 評価転50点