「バッド・エデュケーション」

 昨夜は時々雷が鳴っていた。 上空に冷たい大気が入って来たのだろうか?
 午前中は曇り空。 雨が降る前に山の家の周辺の草刈を済ませた。 予報通り昼過ぎから雨が降ってきた。
 山の家の裏から横へ流れている川の水が少ない。 毎年この時期川の水は年の内でも最も少なくなるが、梅雨に入って雨が降り出すと徐々に増え真夏から秋へかけても水は涸れずに流れ続ける。
 オフがこの地に家を見つける数年前に一年だけだが、川の水が涸れた年があったらしい。
 この部落の五軒はこの川の水を生活水に使っているのだが、川といっても水源は井戸水である。  
 地滑り防止のため行政が横井戸を掘って地中の水抜きをしていて、その排水が源流である。
 水が涸れた年部落の人はなるべく水を使わないようにして、夜の間に溜まった水を大事に使い、その年を過ごしたということらしい。 

 今月神戸では4本の映画を見た。
 今回もっとも見たかったのはスペインのペドロ・アルモドバル監督作品の「バッド・エデュケーション」である。 かの監督はここ数年の間に「オール・アバウト・マイマザー」や「トーク・トゥ・ハー」すぐれた映画を世に出している。
 今回は彼の自伝的な作品というふれこみだったが、 そのストーリィは・・・


 ≫ 時代は1980年。若くして成功した映画監督エンリケを訪ねてきたイグナシオとの突然の再会から物語は始まる。イグナシオは、エンリケが少年時代を過ごした神学校寄宿舎時代の親友だった。「映画に出演したい」と自ら脚本を持参したイグナシオだったが、少年時代の面影はなく、戸惑いと疑いを隠せないエンリケ
 しかし、お互いが知る2人の仲を引き裂いた「神学校での事件」を題材にした脚本に、エンリケは興味をそそられる。やがて映画製作を決意したエンリケだったが、物語の背後にある事実(過去)を検証していくうちに、そこにはまた別の事実(秘密)が隠されていることを知るのだった≪


 取り上げている題材はスキャンダラスなものだったが、前二作品が見終わった後強烈な印象を残したのに比べ、今回の作品はボンヤリとした印象しか残らなかった。
 最近は世界的にミステリー仕立ての映画が大流行であり、この作品もその手法を取り入れて筋立てが二転三転し、次々に新しい事実が暴露されそのスリリングさ、最後まで何が本当の事実だったのか分らない仕組みになっていた。
 しかし、ミステリー映画とは筋立ての妙で見せる、つまり最後まで明らかにならない謎を追いかけることで見せるのだが、ここで取り上げられている重いテーマを描くのにミステリー仕立ては逆にマイナスだったような気がする。 なぜなら見せられる側は謎を追いかけるほうに関心が行ってしまい、テーマを考える余裕がなくなってしまったからだ。 ストーリィ展開にスリリングさは失われても、テーマの持つ重さを正攻法で執拗に追いかけて欲しかったように思う。
 
 見終わった後、残った印象は・・・そしてそれは男同士のゲイの関係の映画を見たときにいつも心に浮かぶのだが・・・男同士の愛はすなわち欲望、ただそれだけといえる。 だが、逆にいえば単純にそれだけだからこそ、その愛は純粋であるともいえるし、何というか、それだけになおさら愛は幻想であり、その果ての人の孤独を感じてしまう。
 ゲイの関係を描いた作品としては、今は亡きレスリー・チャントニー・レオンが激しく絡んだウォン・カーゥイ監督の「ブエノスアイレス」 を越えていなかったし・・・まあ、この映画はゲイの関係の愛の孤独を追求するよりもむしろ・・・ここで監督は最後の最後に台詞で伝えられた強烈なあの一行を言いたかったのだと思うが・・・それならば、あくまで映像の中でそれを描いて欲しかったと思う。  この監督にその力は充分あるはずだからである。

 オフの評価転50点