『アルカロイド・ラヴァーズ』

 ホウの木に白い大きな花が咲いている。 飛騨などではホウ葉味噌などにするあの大きな葉っぱの木である。 おそらく周辺の山の木々の中では一番その葉が大きいのではないだろうか。 少し似ているのにトチの木があるが、トチの木はこの辺にはなく、もう少し高い所へ行かないとないが、あればそろそろこの木も花が咲いている頃だ。

 昨日は日が落ちてから雨になった。 夜一時は結構激しく降っていたが、今朝には上がっていた。
 畑に植えた夏野菜が元気がなかったが、この雨で少しは恵みになっただろうか?
 野菜はあえて化成肥料をやらないで育てているので根が張るまで時間がかかり、どうしても最初の生育が悪い。 もう10年以上農薬はもちろん化成肥料も畑では使っていない。 酸性土を中和する消石灰すらストーブから出る木灰があるので使っていない。
 今日は自宅周辺のもう少し残っていた草刈をして、これで5月の草刈はめでたく全部終了。
 この後は梅雨入り前に運ばれて来ている木々を切って薪を作る作業にかかろうと思っている。

 星野智幸著の『アルカロイド・ラヴァーズ』を読んだ。
 時々著者のHPを覗いている。 その時々の時事に関しての彼の発言は問題の本質を鋭く突いていて考えさせられる。 その意味ではとても気になっている作家であるが、それにしても彼の書く作品は難解である。 理念で持って小説を書くタイプの作家だからである。
 さて当作品だが・・・本の帯書きには以下のようにある。


  ≫咲子はかって、人間が植物として存在している<楽園>の住人だった。掟に従い、何度もも生まれ直しては恋を繰り返していたが、裏切りを働いたため、この世へと追放される。やむなく結婚情報誌のライターとして働き、区役所勤めの陽一と34歳で結婚。しかし咲子はなぜか猛毒アルカロイドを陽一に与え始める。それは楽園を追われた者の運命だったーー。≪

 もう少し詳しく本文から抜粋すると、
 ≫同じ九人で恋と性愛を繰り返したという。二人ずつのペア四組が恋人となり、あぶれた一人が自殺したり、他の八人を皆殺しにしたりしたこともある。 五人で固まって恋をして、五日五晩血だらけの肉塊となってまぐわい続け、最後は全員皮を剥がれた赤むけ状態で、一斉に息を引き取ったこともある。それは巨大な満足のため息だったという。≪
 あるいは
 ≫何人かの股間や臍やお尻から、太い芽やキノコが生えだすこともある。すると、その者には濃い体毛が生え、肉が硬くすじ張ってくるのだった。芽やキノコの生えた者と芽が出ないものがつがうときもあれば、芽が出た者は無視されるときもあるし、芽が出た者同士でその芽を慈しみ合うこともある。≪


 人はかって楽園の住人であり、神々として暮らしていた。その楽園には九人の恋人達が住み、九人の神々はどれほど愛し合っても憎しみ合っても、再び生が巡って来て、どこまでも無邪気なままでいられたのである。
 しかし、楽園を追われた咲子は罰を受ける。 それは限りある生の中で生き、そして死ぬという運命のもとでしか生きれないという罰であり、自分の生きた証を、しるしを残したいと思えば子をなし、育てるしかないという罰である。 

 少し下世話な話題になるが、作者は性的な嗜好がノーマルではないのではないかと思われるが、それがどのようなものであるのかオフの知る所ではない。
 いずれにせよ詩人や小説家、学者、文学者にはそのような傾向を持つ人が昔から多い。
 マージナルな位置に立つからこそ見えてくる人間の実像や人と人の関係というものがあるからである。 家族というもののつながりが強かった一昔前なら複雑な出生や、早くして母や父を亡くした子などもは、ノーマルな家族幻想の欺瞞を鋭く相対化する視点を持っていたし、国家間の狭間に位置する二世、三世なども同じようにあたかも固有と信じられている国家や文化を相対化するマージナルな視点をもっている。
 一昔前の作家でも三島や川端のように自分の性的な嗜好を表向きには隠蔽したままいじましく作家活動をしていた人たちもいたが、今はあえてそれを隠蔽したまま作家をやっているような人は少ないだろう。
 今回小説にまじって図書館で借りてきた本に『世界を見る目が変わる50の事実』という本があるが、
その中に<70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる>という項目あって、少なからず驚いている。
 
 ノーマルな人間ヘテロのための神話があるなら、レズビアン、ゲイ、両性愛者、倒錯者のための神話があってしかるべきだろう。 そのような人々が性的にノーマルな人々の神話にすり寄って生き、。根拠にすることはないのだ。 作者が書く根拠、彼が純粋に悩みに悩むその問題について今こそ彼が彼らの神話を書かねばならない、きわめて明確な書くことの根拠が、そこにこそあるといってよいだろうと思う。