帽子と茶碗

 薄曇りの空。 山々ではヤマボウシに続いてエゴの木の花が咲き始めている。
 わが家の庭では、夏ツバキの蕾も膨らんできている。 この時期白い花を付ける日本の山々でごく普通に見ることが出来るこれらの木々の花だけでなく、幹、葉、姿かたち、たたずまいなどどれをとってもすべて好きである。
 当地方もどうやら明日から雨らしいが、今日午前中で薪切りが終了した。 なんとか入梅前に終了してホッとしている。 この後残り半分を秋に材木屋から運んでもらい、それを薪に切って雪が降る前に薪小屋が一杯にする。
 午後から芝庭の芝刈りをした。芝刈りというより草刈りである。芝は縮こまって少しも伸び得ないのにその他の草がドンドン伸びて芝を覆ってしまっていた。


 先日山登りをしたときに帽子を落としてきてしまった。
 ダイソーという百円シュップで買って約二年間ほどの間、ずっと被っていたお気に入りの帽子だったのに残念である。
 それに数日前にご飯を食べていた茶碗を不注意で欠かしてしまった。 茶碗は少しぐらいの欠けでそのまま使えるのだが、洗う時にスポンジが引っかかるし、うっかり指にも引っかかって痛い思いをしたり危ない。
 そんなことが重なって、久しぶりに百円ショップに寄って帽子と茶碗を買った。 帽子は好みのが少し大きめのしかなく、またどこかで落としそうなので二個買う。 茶碗はたくさん食べないように少し小さめのものを、これも二個買ってきた。 全部でで420円、一昔前では信じられないような安さだ。
 

 小泉首相が今日の答弁で靖国神社に参拝しているのは公務としてではなく、個人的な信条から参拝しているのだと答えた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050602-00000114-yom-pol

 たしか彼はこれまでこのことに関して公務だとも、個人的な参拝だとも一度も表明してこなかったはずだ。明らかにしたのはたしか今回が初めてだと思う。 なんとも人騒がせな男である。
 基本的にはその人が個人的にどんなことを信じようと、どのような信仰を持とうと、それはその人個人の自由であるとオフも思う。
 しかし、国家を代表する首相のような人がその公職についている時期に、近隣諸国から批判があるような行動をあえてするのは出来る限り慎むのが責務もある。個人的な信条に従うのは、公務を離れてから幾らでもやればよいことである。それをどちらかといえばムキになってやるような子供じみたメンタルを持った人である。そしてその人をその行動も含めていまだに日本国民が高い率で支持しているのである。
 首相だけでなく周りへの不信感を植え付けて平気でいられるメンタリティを持っている国民であると受けとめられていることに平気なのである。それを批判された時に、そんなことは個人の自由だから口を出さないで欲しい、と涼しい顔で答えているのが今日の答弁だろう。