林望著 『帰宅の時代』

 今日午後、首都圏へ行く列車に乗る。
 今夜は娘の所へ泊まる。 明日は産み月が近い上の息子の嫁さんの顔を見てから、下の息子のところへ泊まり、明後日は横浜の中華街で皆で食事をした後、神戸へ向かう。
 明日からまた、十数日間この日記はお休みとなる。


 神戸に回った時、綾部の古民家を了解の返事をすることになる。  その時に手付金なりを払わねばならないだろう。 そうなればどうあろうと前に向かって走るしかなくなる。 そのこと自体には迷いはないが、その後も二、三良さそうな物件は出てきている、これが気持ちを迷わすのだ。
 岡山の東よりの山陽道沿いに新たに出てきた比較的安い二件。 綾部市の今回のものからもう少し奥へ入った三百万台という格安のもの。 それに昨日連絡があったのだが、神戸から比較的近く篠山口インターや市街にも近いという物件。 これは横に五十坪もある倉庫が二棟付いて1千万円以上と高かったので外していたものだが、不動産屋が古民家と倉庫を二筆に分けても良いと連絡してきた。写真で見る限りこじんまりとしているが、手を加えればかなり良いものになりそうで、なんとなくやりがいがありそうな家である。 ロケーションも周囲に家が建て込んでいないし、少々お高くても後の始末を考えると笹山は綾部より楽なのは確かである。 岡山のものは別にしても、後の二件は、後悔しないためにも一応先に見ておく必要がありそうである。


 林望著の『帰宅の時代』を読んだ。
 これは小説ではない。 軽いエッセーとでも言うのか、わたしの信条とか、わたしはこのようにして生きてきた、ということを書いた本である。 今の時代風に軽く生きよう、しかし好きなことはどんどんやろうじゃないかと・・・と書いたこんな本が結構売れるのだろう。
 この手の本は五木寛之などがよく書いている。 どんな時代にもこの手の本を書く人と、それをもとめて読む人がいるのものなのだ。 人々はいつでも、どんな時代でも、この手の本を読みたがるものなのだ。 まあ、小見出しを見ていけば何が書いてあるか、それだけでだいたいの内容が分るが、ちなみに第一章の<「自分らしく」暮らすための十カ条>の小見出しは・・・

 家に帰ろう!
 「人並みの生活」を捨てよう
 霜降り肉を疑え
 野菜の皮を剥かない
 ファッションは何を着るかではない
 自分でよく調べるべし
 身の程を知れ
 「清貧」ではなく「清富」であれ
 自己投資にはお金を惜しむな
 他人と違うことに誇りを持て
  
 とある。 まったくもってごもっともな話ばかりである。
 しかし、これを読んだからと言って、読んだ人が明日から自分が作者ように変身するかと言えば、そんなこともない。 だからこそ安心して読まれていると言えるのだろうが・・・変るといえば、せいぜい何かのついでに、それらの意見を自分の意見のように表明したりする程度の変化はあるだろうが・・・。