井上荒野著『もう切るわ』

 昨夜激しい雨が降って前線が南下していった。
 今朝からは北の高気圧に覆われて涼しい。 この間ずっと開けっ放しだった窓を閉めて、長袖を出してきて着ている。 しかし天気の回復は遅く曇り空で、秋の高い空、澄んだ空気はまだお預けである。
 明後日あたり台風11号が接近。 もっとも西よりのコースをとった場合台風は日本海に抜け前線が押し上げられ、その後太平洋高気圧がまた張り出して、夏に逆戻りというケースも考えられないことはない。 だとしてもここのところ日中蝉も鳴いているが朝晩は涼しく、夜になると秋の虫達も鳴いている。 
 マロクンが元気がない。 足の付け根にできた腫瘍は少しずつだが大きくなって来ている。 そのせいか、夏のせいか、年のせいか、食欲が一時の半分ほどに落ちている。 からだも痩せて一回り小さくなった感じがする。 年齢的には人に直せば80歳近くなので、仕方がないといえば仕方がない面があるのだが・・・。
 

 井上荒野著の『もう切るはわ』を読んだ。
 この作家の作品を読むのは初めてである。 漢字で書くと男か女かわからないような名前だが、多分アラノと読むのだろうが、女性作家である。 
 内容は芥川賞系と直木賞系の中間的な小説だが、筋運び、文章ともに手馴れていて、とにかく上手い! 出だしのところに以下の文がある。

 ≫新しい服を着れば、新しい自分になれると、多くの女性と同じように、私もやっぱり錯覚するのである。しかし実際は、私はその服に袖を通すことすらめったにない≪

 ここらあたりまでなら女性作家でなくとも誰でも書くだろう。 しかしその後の

 ≫変れないことと変ること、たぶんその両方に恐怖があるせいだ≪

 この一行は、自分を表現することを普段から留意している人だからこそ書ける、するどい一行だと思う。 その後は以下ように続いていく・・・

 ≫出かけるときに着るものを、私は、いつもなかなか決められない。何を着ても、私の身の上や心の中が、ありありとそこにあらわれている感じがして、ようやく決めて外出しても、鏡やウインドウの前を通るたび、自分の姿をたしかめずにはいられない≪
 
 作者はあとがきに書いている。
 「誰の心の中にも、迷路があると思います。
 その存在に気づいた瞬間に、それはあらわれ、ひとつの道を選ぶたびに、もう一つの道が増えて、迷路はどんどん複雑になっていくように思えます。
 ある道の先には嘘があります。けれどもそれはまた、あるべつの瞬間には、万華鏡のレンズがほんの少しの角度によってがらりと変わってしまうように、真実にもなりうるのではないでしょうか。
 ・・・・・・
 あるひとりの男にかかわった二人の女の心の中の図が、どこかで混じり合い、あらたなる小路で繫がって、果てしない迷路になってあらわれてくれたらいいな、と思います。
 そして、その迷路のひとつの道が、読者の心のうちのどこかと繫がって、そのことで読者が安堵するのではなく、むしろ迷子になった子供のような不安を掻きたてられるふうであったら、それは私の願い通りです」

 また楽しみな作家が一人出てきた。