日本文学、オフの今年の三冊

 今年もあとわずかである。 オフの今年の三冊の本を選んでみようと日記をさかのぼった。
 今年オフが読んだ日本文学の中から今年出版されたものに限定して選んだ。
 まず第一に挙がるのは文句なしに笙野頼子の『金毘羅』である。
 みずからが金毘羅であるという奇想天外な作者の妄想が物語として成立した時、戦後の欺瞞や自分の生い立ち、世界との違和感や家族をはじめとするまわりとの軋轢、生き難さが目から鱗を落とすように見えてくる。 この物語を読むことがすなわち金毘羅として生まれ出でる現場に立ち会ったような面白さがあった。
 第二には柳美里の『八月の果て』。 今年読んだ日本の小説の中ではもっとも長編だった。 彼女はこの作品の中で虫けらのようにその若さと輝きを奪われた韓国女の従軍慰安婦を描き、その慰安婦を抱きながら、やはり虫けらのように死んでいった日本の若い兵士たちをも描いた。
 ついこの前もた映画「春夏秋冬そして春」の中で、韓国のパンソリが歌われているのを聴きながら『八月の果て』のことを思い出していた。 この小説の中には、アリランをはじめ韓国のおんな達が唄う哀切極まりない歌がたくさんでてくるが、おそらく作者の耳にはそれぞれの生の唄が聞こえているのだろうが、それをメロディーをつけた唄として聴いてみたいなぁと思った訳である。
 第三作目は迷ったが、村上春樹の『アフター・ダーク』を挙げたい。 迷ったのは平野啓一郎の『滴り落ちる時間たちの波紋』と、津島祐子の『ナラ・レポート』との間でだが・・・。 まあ、今年の五冊とならば、迷わずこの二作品を加えることになるだろう。 
 なお『アフターダーク』で村上春樹は、情報過多な現代を俯瞰する物語の成立の困難さとその可能性について、引きこもりの人もまたそのこころの中では必死にもがいているのであり、その事実とわれわれがどう関わっているのかという、ひとつのヒントを与えてくれたように思う。
 今年も本当によく本を読んだ。 オフが本格的に本を読み始めたのはごく最近なのであるが、ますます本を読むことが面白くなってきている。 もうこの先本を読めるだけ読んで、それに映画やビデオも見れるだけ見て、ただそれだけで、後は一切何もしないで、それで死ぬなら死んでも良いなぁと思う。 
 と言うか、それだけ出来れば、あとは何の思い残しもないと言える。
 きょうも外は雨時々雪で、ビデオを一本見た。 「アントニアの食卓」という95年のオランダの作品だが、その中で指曲がりと呼ばれている老知識人が死ぬ前に大体以下のようなことを言う、「いつか良くなるというのは思い違いである。良くなるということはないのだ。良かれ悪しかれ、事態が変るだけなのである」 とこのようなことを伝えて彼は死んでいく場面があって、それが印象に深く残った。