『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

 今日も良い天気、自宅へ行って昨日昨年のマルチングを取った畑を起した。 鍬ではなくてミニデーラーで。 鍬を持って畑を起すなどということなどもう出来ない。 間違いなく翌日から腰が痛タタ〜タになるからだ。 ミニデーラーを使ってでもパワーがないので、溝を切る時などは後ろから力一杯入れて押さねばならない。 もともとミニデーラーなどで溝を切ろうとすること自体が無理なのだろう。
 その後コンポストの中から半分堆肥化した臭い臭い生ゴミを取り出して、一輪車で運んで畝の真ん中に埋め込む。 以前と違って今は一人暮らしだし、自宅では冬の間しか過ごさないので生ゴミといってもわずかしかない。 山の家にも生ゴミを肥料化するコンポストは置いてあるのだが、こちらの生ゴミはすでに黒くなり、臭いにおいもなく良い肥料になっている。 それに小便も農業用の水タンクに貯めているのだが、こちらも冬を越してからは全然臭わなくなっている。 かなり無機肥料化した状態になっている。
 この後、畑は黒いビニールでマルチングするのだが、雨が降って土がたっぷり水を含んでからすることになる。 どうやら明日は仕事が一段落だが、そうなれば草刈が待っている。
 外仕事は次から次といくらでやることがあるものだ。


 アリステア・マクラウド著の『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を読んだ。
 作者はカナダの作家である。
 スコットランドでも北西部のハイランドと呼ばれる高地地方にルーツを持つ一家の物語。
 18世紀の末、スコットランドからカナダの東にある島へ一族で渡った赤毛のキャラムと呼ばれる家長がいたが、その子孫の四代に渡る血の流れの物語である。 

 カナダで矯正歯医師を開業している男が主人公であり、この物語の語り手である。
 彼は今は裕福な暮らしをして、日曜の夕方は同じような階層の面々とのパーティに呼ばれるような満ち足りた日々を過ごしている。 しかし彼は毎土曜日には、数百キロ離れたところの安アパートに住むアル中の長兄を訪ねている。  それはひとつことがあれば一致協力して当る結束力が強く勇猛果敢な親族郎党の血の流れから自分を切り離せないからである。 それには幼くして両親を失った彼が育った環境が彼に深く影響を与えているのであるが・・・皆は命に代えても個を守るというルールがある。 今の時代の近代社会の中で生きる個人が見失ってしまった歌、それはたんなる郷愁の歌でなく、族の中で一人の男としての生きるルールにこそ尊厳が有るという生き方の歌なのである。