『ミリオンズ』

 
 暑くもなく、寒くもなく、カッターシャツ一枚で戸外を散歩できる、今がまさにそんな季節である。
 散歩する山の道では藤、ミズキ、タニウツギなどがたわわに咲いている。 とくに今年のタニウツギ卯の花が鮮やか咲いている。 ホトトギスはまだ鳴いていないが、鳴くのも近いだろう。

 母親を病院の受診に送り迎えする。 その合間に先日やり残した庭の草刈をした。 草餅などに使うヨモギが今年はやたら生えている。 何年か前このヨモギを干したものを浸けた風呂に入ると神経が安らぐと聞いて、たくさん刈り取って干したことがあったが、家族から不評をかって大方捨てたということがあったなぁ。 そんなことなどを思い出しながら草刈をした。
 

 フランク・コットレル・ボイス著の『ミリオンズ』を読んだ。
 この作者はイギリスのリヴァプール生まれの脚本家で「バタフライ・キス」とか、「ウエルカム・トゥ・サラエボ」、「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」などの映画の脚本を書いている。
 オフは上にあげた三本の映画はどれも見ている。 今回の『ミリオンズ』が小説としては彼の初めての作品である。 この作品も日本ではまだ未公開だが、この秋公開されるらしい。
 
 「バタフライ・キス」では、出会う人間を次々に殺していく少女が主人公で、その少女を愛してしまった女が連れ添い、道行きを続ける。 キリストの罪と愛そのものが問題にされている難解な作品だった。  
 この小説ではカソリックのさまざまな守護聖人のことを、すべてそらんじている10歳の少年ダミアンが主人公である。 ダミアンには一歳年上の兄アンソニーがいるが、この兄もお金の運用に関しては大人顔負けの知識を持ち、この世はすべてお金なのだと言い切るこれまたおかしな少年である。
 ある日、引っ越した家の空き地のダンボールの小屋で質素な生き方を実践模索していたダミアンのもとに、何十万ポンドもの紙幣が詰まったカバンが降って来たことで物語の始まる。
 子供向けの作品だが、ダミアン兄弟のお父さんをはじめとして出て来る大人が逆に子どものように単純で、アンバランスなキャラクターが生み出すコミカルさで物語は進み、わりとスイスイと読めるのだが・・・背後のこの世の成り立ちの問題まで読み込もうとすれば、かなり難解な作品ともなる。
 
 ≫いつだったか、<窮乏との戦い>の募金を、いえ、<CAFOD>だったかもしれないけど、とにかく、どこかの慈善団体の募金をしたの。バーミンガムの<国立展示センター>で。募金の前に、ネルソン・マンデラさんの講演があってね。あの後で私がしゃべる必要はなかったわ。寄付の自動振替申込が殺到して、参加登録してもらうのが追いつかなかったくらい。そのとき、マンデラさんはなんと話したと思う?こう言ったの。「たった一つの富は、日々の暮らしです」。どう思う?マンデラさんはね、お金とは、お金がまったくないのと同じ監獄ですと言ったの。この世でたった一つの富は、日々の暮らしだって。あなたたちは恵まれている・・・おたがいがいるし、住むところがあって、健康な体がある。それが、「日々の暮らし」、人生(ライフ)なのよ。ほかのものは、どれも期待はずれ。中国の万里の長城(ザ・グレイト・ウオール・オブ・チャイナ)みたいなもの。ぼくはドロシーを見た。アンソニーもドロシーを見た。万里の長城みたいなもの?「知っているでしょ」ドロシーは肩をすくめた。「万里の長城はね、陶器(チャイナ)でできているわけじゃないの」≪

 このように小説ではやや饒舌に生きることすなわち人のライフの重さと、コミカルさが上手くサンドイッチ状態に噛み合せて進んでいく。
 これを映画で表現するにはどのような映像的処理がなされるのだろう? なんとなく思い出すのはラッセ・ハルストレイム監督の「マイライフ・アズ・ア・ドック」という作品なのだが・・・ともあれこの秋には日本でも映画が公開されるというが、今から大きな楽しみである。