『こぶしの上のダルマ』

 昨日、ホトトギスの鳴くのも近いだろう、と書いたが、さっそく今日マロクンとの散歩の途中でそのホトトギスのテッペンカケタカという鳴き声を聞いた。 最高気温が夏日の25度を下回るが、20度以上にはならないという良い天気が続いている。 最低気温が10度を上回っているが、今いるところは標高が250メートルほどの山間地なので夜はたぶん10度を下回っている。 よってまだほんの少しだが、夜は火が恋しい。 ストーブで薪を一時間か二時間ほど燃やす。

 ボランティアの日で、富山駅前のさくらカフェというところへ出かけてランチ作りをした。 これまで集まっていた子供たちがこの4月からあちこちへお手伝い程度の仕事についたので、今日は集まった子供たちが四人と少なかった。 
 

 南木佳士著の『こぶしの上のダルマ』を読んだ。
 このような名前の作家がいることは知らなかったし、しかも芥川賞作家だったことも知らなかった。
 調べてみると10冊あまりの著作がある。 少し前に映画化された「阿弥陀堂だより」という作品があり、その映画の原作者である。
 芥川賞作家といえど、昭和50年初めの村上龍池田満寿夫宮本輝あたりの騒がれた受賞作家の名前だけはなんとなく知っているが、話題性が低い作家などほとんど知らないというのが世間の実情だろう。  文学には少なからず興味を持っていたオフでも、個人的には子どもが産まれ本格的に忙しく働き始めた50年代半ば以降の作家は、名前も知らない人も結構いる。
 また、50年代半ばから60年代初めにかけては芥川賞は、該当者なしという選考会が半分ぐらいある。 日本経済の高度成長が軌道に乗り、ほとんどの人の年間所得が確実に増えていった時代には、文学などほぼ忘れ去られていた。 また暗いというイメージが付きまとう純文学などにわざわざ関わって飯を食おうと思う人が少なくなったというのは少しも不思議ではない。 この南木氏も本職が病院勤務の医者で、本業を持ちながらコツコツ好きな作品を書いてきた人なのである。
 それはともあれ、この人の文体は一種独特のものがある。 それはたとえば、

 ≫ばらけているが、額にかかる白髪はあくまで白く、日にさらされて茶色く変色しているこの村の老婆たちのそれしか見ていない子供の目には異様だった。≪

 作者が小学生に上がった頃、家におときばあさんと呼んでいた素性のよくわからない老婆が同居していたのだが、上の文はそのばあさんのことを書いている。
 上の文章の主語はその<おときばあさん>なのである。
 とにかく主語がない以上のような文章が、突然普通の文章に挟まれるので、最初は読んでいて、突然石にでもけつまずいたように途惑う。 それも読んでいく内にそんな文章にだんだん馴れてくる。 馴れてくると主語をはぶいた文章の不思議な魔力みたいなものにいつの間にか引きずり込まれてしまっている。 それはこの小説がきわめてわたくしごとな、いわばわたし周辺の秘事を、少しずつ隠されているナイショを、ひそひそと明かしていくような、そんな私小説の魔力とも関係しているだろうと思われる。
 また作者は作品の中で何度も書いているが、病院勤務の臨床医師だったが、30代後半ごろからこころを病み、つまり強度の鬱病に罹り大変な時期を過ごして来たようだが、そうでありながらそのことを私小説な作品に何度も何度も書いているということはすごい意志の力である。
 まあ、書くことが一種の救いであり、唯一の癒しでもあったということなのだろうが・・・