『千々にくだけて』

 

 曇り空というより、低いモヤにすっぽりと覆われていて日の光が地上まで届かないといった感じである。 暑くはない、寒くもない。 外仕事にはもってこいの日々が続いている。 日曜日の山登りで身体のあちらこちらがイタタなのだが、昨日も今日も薪切りは続けている。 おかげで残すところあと一日というところまで来た。

 昨日は夕方ボランティアで知っているKさんからの頼まれていたのだが、M君に会って外で食事をしながら話し合った。 Mクンは公設民営の第三セクター不登校の子供たちの支援にかかわっている青年である。 仕事上というよりその周辺でのいろいろな軋轢で最近落ち込んでいるので話を聞いてあげて欲しいということだった。 何も出来ないが話を聞くだけなら、ということで引き受けメールで打ち合わせや自己紹介をしながらようやく昨日時間がとれたM君と話し合った。 M君自身も中学、高校と不登校を繰り返していた経歴を持っている青年である。 話し合いは上手く行ったかどうかわからないが、半月後あたりにもう一度逢いたいというメールが今朝入っていた。


 リービ英雄著の『千々にくだけて』を読んだ。
 以前に外国生まれで日本語で小説を書いているデビッド・ゾペティ著の『いちげんさん』を読んだことがある。 どういう訳かその作者をずっとリービ英雄だったと覚え違いしてしまっていた。

 それはさておき、この作品は例の<9・11>を描いた作品である。
 21世紀にはいるやいなや、歴史の流れを変えたこの事件について取り上げた小説としては、日本文学の中では今のところこれが唯一の作品らしい。 
 まずの印象は、静やかな小説だ、というものだった。 <静かな>ではなくあえて<静やかな>などという少し文語長の形容詞にしたのは、この作者が古典を含め日本文学に精通しているのに敬意を示した。 あの事件が起きた時主人公、つまり作者は太平洋上空のジェット機の中にいてアメリカに向かっていた。  飛行機が降下する中から地上の島々を見下ろしながら主人公は、芭蕉の まつしまや、しまじまや、ちじにくだけて、なつのうみ という句を頭に描き、 Brouken into thousands of pieces という翻訳された英文を同時に思い出していた。
 中継地であるカナダに降りた飛行機は、アメリカが一切の飛行機がアメリカ上空を飛ぶことを禁じたとアナウンスがあり、飛び立つことなく作者は数日間カナダに滞在することになる。 ホテルに入った主人公はテレビでツインタワーがまさに<千々にくだけて>崩壊する映像を見ることになる。 ニューヨークには妹が、ワシントンのペンタゴンの近くには母親が住んでいるが、電話での連絡が取れない。 そのように見ず知らずの異国の地に突然放り出されて、時差ぼけでまとまらない意識のまま、ただ時間の流れるままいろんな思いに揺れる自分の心のうちが描かれている。 
 彼は20年前から日本に住み、これまで母国アメリカや英文を意識的に遠ざけて生きてきたのだが・・・ 
 言葉から触発されて突然甦る古い記憶、アメリカの傲慢さ、 ビルから飛び降りる人々、アメリカの奢り、現地にいる肉親への心配、人種的差別に対する嫌悪感、富と繁栄、あれやこれやがごちゃ混ぜになって、これもまた<千々にくだけて>彼のこころを駆け巡る。
 そして自分が、両者の意識を持った・・・何者でもない存在・・・であるあいまいさ、不確かさ、不安そして恐怖・・・。

 ここでもマージナルな場所に立つ一人の誠実な人がいる。
 彼がこころに浮かぶ思いを訥々と言葉に置き換える、そんな小さなつぶやきにに耳を澄ますと聞こえてくる本当がある。
 以前に「ロスト・オブ・トランスレーション」という映画を見たが、ここにはそれの何倍も深い自分の存在感までも根底から揺るがすような、そして今の状況をあぶりだすそんな孤独感と哀しみが静やかな日本語に置き換えられ書かれている作品である。