『漢方小説』

 昨夜の雨と雷はすごかった。 雷などをめったに怖がらないのだが、昨日は少し落ち着きをなくして部屋の中をウロウロしたりしていた。 平地とは違って山の雷は凄いものがある、そのうち何本かは木などに落ちたかもしれない。 雨も短時間だったが激しかった。
 昔、静岡一時間に100ミリ降る雨を経験したことがある。 その時は七夕豪雨といって静岡市清水市の各地の川が氾濫して大きな災害になった。 その時は山の際に住んでいたが、道が見る見るうちに川になり、ドウドウと水が音を立てて流れはじめ、家の中へも水が入ってきた。 さいわい床の高い家だったので床上まで水は来なかったが、それがまさにあれよあれよと言っている間の出来事だった。

 午前中母親を病院に下ろして、弔いに行く。 その後昨年度収入なしの申告を済ませ、図書館へ。
 今回は小説は借りず、民家や木造建築関係のムックを4冊借りてくる。
 その写真集のような本を見ていて、内部に水が入り床が腐り抜けている綾部の家の蔵も壁を開口して窓を付け居住空間にしようと思い始めた。 曲がった栗の柱を避けて分厚い土壁を開ぶち抜いて開口し、その部分を後で漆喰で塗り固め、綺麗に仕上げるのは結構難しそうだが・・・
 さらに母屋と蔵との短い空間に渡り廊下を設けて、雨の日でも濡れないで行けるようにしようと思う。 たとえ廊下のような簡単なものでも、木材で小屋組みを造るのはこれが初めての経験ということになる。 木取りから墨付け、組み立ての全部の行程を自分一人の力でやってみようと思うが、そう思うだけで何だか今からワクワクしている。

 〆鯖が美味しく出来た。♪らんらんらん〜
 売っているモノは身が真っ白になっているが、振り塩の状態と酢に漬けるのを分離して、ともに1時間ほどで済ませたので表面は白くても内部が半生で赤く光っている状態に仕上がった。 それにヅケにしたカツオ、冷蔵庫で半乾き気味にしたイカ刺し、神戸に行く前に昆布で〆ておいた黒ムツ、それぞれを皿に少しずつ盛り付ける。 魚好きのオフが10年前頃からなんとなく刺身が食いたくなくなって、新鮮な魚に以上のようなチョイトした小細工をしながら食べている。


  中島たい子著の『漢方小説』を読んだ。
 何ともおかしなタイトルの作品だが、これが良く出来た小説である。
 作者は美術系の大学を出て、これまでおもに映画制作部門で活躍していた人らしい。
 この作品が事実上小説のデビュー作ということだが、どうしてどうして新人の作とは思えないような、この世界で長年飯を食っているベテランが書いたような完成度を備えている。 若い時から文学の世界は彼女のおなじみの、お気に入りの世界だったことが文体、筋運びの中に自然に滲み出ている。
 今時の都会生活をしているチョイ婚期の遅れた30歳過ぎの女性ー負け犬さんーが主人公である。
 ややワーカーホリック気味な上に、モトカレが晴れて結婚する〜という情報に接してたちまち発作を起こして救急車で病院へ。 その後も体調不良は続き、ときには原因不明の発作に襲われる日々が続く。 何軒か病院を医者を渡り歩いたが、その都度検査をしても異常なしと言われるだけなのだが、体調は一向によくならない。 そこで昔診てもらったことのある漢方医の受診を仰ぐわけである。
 ところがその漢方医院の新人イケメン先生、というより、彼女好みな先生が担当医になった。
 さあ、大変!というわけである。 その先生をより知ろうという思いが、彼女をして漢方を知ろうという密かな行動になり・・・彼女は何事にもまず知識を詰め込んで、おつむを武装することから始めるタイプなのである。 調べていくうちに「喜びは悲しみに勝ち、悲しみは怒りに勝ち、怒りは思いに勝ち、思いは恐れに勝ち、恐れは喜びに勝つ」のだという漢方医学の不可思議な循環の思想を知ることになる。