『雨と夢のあとに』

 午前中墓参りなどを済ませ、お昼前から集まったおなじみの友人3人と買い物に行き、お昼はバーべキュウ。 今日の集まりの名目はオフの壮行会、来月から京都府綾部へ移るからという理由をつけて・・・。 途中よりやはり高校時代の友人もう一人飛び入りで。 その彼は、来期の市町村選挙に出るかもしれないという。 頭がおかしくなったかと思ったが、まあ、家庭的にもあまり恵まれていない淋しい男は、突然そのようなおかしな話に乗ってしまうことがあるみたいだ。 やれやれ・・・。


 柳美里著の『雨と夢のあとに』を読んだ。
 柳美里川上弘美と同様オフの好きな中堅の女性作家だ。 
 ともに今脂の乗った時期であるのか、すぐれた作品を書いている。
 この『雨と夢のあとに』も川上弘美の『古道具 中野商店』に負けない素敵な作品である。
 12歳の少女雨が主人公で、思春期に差し掛かっている彼女の思いの流れがこの作品の内容となっている。 彼女が職員室でこっそり見たエンマ帳には<父子家庭、父は写真家(昆虫)で、撮影で不在がち。二歳の時に母が失踪。離婚は未>と書いてあるような背景を持つ多感な少女・・・彼女の独白に以下のような箇所がある。

  ≫わたしったら、おばあさんが不治の病で死んじゃったり、おじいさんがひと柱になったっちゃったり、お嫁さんが鶴とか蛇とか雪女になって消えちゃったりする暗い話がミョ−に好きなんだよね。ひとことでいうと気持ちが安らぐの、暗い穴に潜るみたいな気がするっていうか、うーん、湿ったカビの臭いがする押入れのなかで丸まって眠るみたいな?≪


 ≫わたし、車にはねられて死にかけていた猫を見て、気持ち悪いって通り過ぎるひとより、かわいそうって通り過ぎるひとのほうがぜったい許せない。だって、関わるか、関わらないかでしょう?動物病院に抱いて行って、助かる見込みがあるなら、治療してもらって元気になるまで看病するか、助かる見込みがないなら、安楽死の注射を打ってもらってお墓をつくるか・・・、どっちでもできないんなら、黙って通り過ぎるしかない。すべてに立ち止まることなんかできない。すべてに関わることなんかできない。でもそれは、とても辛くて哀しいことだよ。かわいそうだなんていって、いいひとぶるヤツ、サイテ−!≪

 昆虫採集に台湾にでかけた父親からは10日も経つのに何の連絡もない・・・時々襲ってくるその漠とした不安は彼女の日常の中に食い込み、独りぼっちになってしまうのではないかと思いは、心の内側で彼女を激しく動揺させているのだが・・・彼女は対外的にはそのことを誰にも気付かれたくない。 
 何時もと変らない気丈で明るい今時の少女を健気に振舞っている。 そのあたりの現実と願望、幻想と日常生活が入り乱れて、この年頃の少女の曖昧で微妙な心理とあいまって、不思議な雰囲気をかもし出しながら物語を先へ先へと追い立てるように突っ走っていく・・・のだが・・・
 この時代の文学のあり方にキッチリと嵌まるようなある種の物語の進め方、を確立した記念的な作品だろうと思える。